紫姑神(参考『夢溪筆談』)
紫姑神は便所の女神である。
ある人の妾で本妻にいじめられ、毎日厠掃除をさせられていた。この女が正月十五日に死んだので、この日に紫姑をまつり、その年の蚕の良否をたずねた。また、便所に紫姑の像をつくり酒などを備えてまつる。正月十五日に限らず紫姑神を呼び出すことができる。呼び出し方は定かではないが、なんらかの方法で紫姑を人に降ろして話を聞く。
沈括は『夢溪筆談』の中で、自身も子供の頃に紫姑神を呼び出したと言っている。呼んだはいいが帰ろうとしなかったので、恐れて二度と呼ばなかったと言っている。紫姑神が人に降りてくると、蓬莱から流された仙人であるとか、上帝の後宮の女であるなどと自称する。また、突然字がうまくなり、美しい文章を作れるようになるともいう。
日本でいうコックリさんのたぐいだろうか。
フールヤヌカン(参考『島からのことづて』)
沖縄の便所の女神。漢字を当てるとフール屋ぬ神だろうか。家の各所の守り神を決める時に、美しい女の神が自ら便所を守ると言った。魂(まぶい)を落として元気のない人が、落とした場所で魂を拾えなかった時に、便所にて女神に祈ると魂を拾ってきてくれるという。大変力の強い神で、願い事はこの神に聞いてもらえばかなうと言われている。なお、フールは便所のことで古くはウワーフールと言って豚小屋と一体だった。
麟(参考『夢溪筆談』)
至和年間(1054-1055)に、交趾(ベトナム)が麟を献上した。牛に似て大きく、全身に鱗があり、首(頭?)に一本の角がある。伝説にいう麟には似ていなかったという。山犀という人もいたが、山犀に鱗はない。麟と認めればベトナムにだまされたことになり、さりとて麟以外の何であるか確かめようがない。そこで異獣とだけ記録されたが、慎重で適切な対応であったと『夢溪筆談』の著者である沈括は言っている。沈括はこの獣を天禄であろうとしている。なおこの話は中国のいくつかの古典にあるが、沈括以外は「嘉祐三年(1058年)」としている。
天禄については、沈括は石像を見てベトナムからの献上物と似ていると言っているが、それ以上の根拠はなさそうだ。
虎頭魚体の海蛮師?海豹?(参考『夢溪筆談』)
嘉祐年間(1056-1063年)に海州の漁師が奇妙な生き物をつかまえた。体は魚で首は虎、虎の模様がある。二本の短い足が肩についており。指の爪は虎である。長さは七、八尺。人を見て涙を流す。役所に担ぎ込んだが数日後に死んでしまった。長老が言うには「海蛮師」であろうと。
野槌・のづち・ノヅチ(参考『和漢三才図会』)
ツチノコのことを調べていると『和漢三才図会』に記述があるとする情報に行き当たるが、どうもこの説には疑問を感じる。たしか野槌と称する蛇についての記述はある。しかし、その蛇の姿は長さ三尺(つまり90cm!)あるというのである。この時点でツチノコとなんの関係もなさそうに思える。しかし太さは五寸(15cm)とあるから、日本の蛇にしては太い。「頭と尾は太さが均等で尾は尖っていない。このため柄のない槌に見える。口は大きく人の足にかみつく。すごい早さで坂を走り降りるが登りは遅い。この蛇にあったら高いところへ上れば追ってこない」とある。変わった蛇ではあるが、一般に言われているようなビール瓶のような形とはだいぶ違うように思うが。もしツチノコの定義を頭からしっぽまでくびれがなく太さが均等ならば長くてもよいとするなら当てはまるが。
球電(参考『謎の発光体・球電』)
球電という現象は、必ずしも雷雨を伴わないが、雷とともに現れることが多い。それは光の玉で色はさまざまである。時にブラックホールのように光を吸収しているかのように真っ黒なものまで現れる。形は丸く、大きさはピンポン球のように小さいものから、もっと大きなものまであるという。稲妻はまっすぐに地上へ落ちてくるが、球電は迷走するようにあちこち走り回る。球電が顔のすぐ近くを通り過ぎて行ったという人によれば熱さを感じなかったというが、それは球電に触れていないからで、もし衝突していたら球電は激しい音をたててはじけ、熱と衝撃で人やものを破壊する。なんらかの電気的な現象であることは確かだが、その正体はいまだ知られていない。ハンガリーでは研究者エゲリ・ジョルジの呼びかけで球電の発生事例が多く集められているが、日本でははっきりそれとわかる現象は報告されていないという。
エゲリ・ジョルジの著書『謎の発光体・球電』に、古代中国の事例として沈括の『夢溪筆談』からの引用がある。以下は板井一真氏による日本語訳からのメモである。「李順秋の家が爆音とともにふるえた。大広間の西に光りが現れ、家の者たちは家が燃えていると思い逃げ出した。光が消えたのちにもどってみると、家には被害がなく、障子やふすまに孔や黒ずんだ部分があった。木製の台に塗り物の器があったが、銀の取っ手が溶け落ちていたものの、器は無傷だった。刀は鞘になんら変化がないにもかかわらず刀の一部は溶けていた」人名の表記が『夢溪筆談』と違うのは原文のまま。
陸雲による『蝉の五徳』(参考『蝶の幻想』)
一、蝉が頭に持つ文様は書かれた文学をあらわす。
二、蝉は地上にあるものを食べず露だけを飲んで生きる。清潔・清廉・礼節の表れである。
三、蝉は一定の季節に表れる。定説、誠実、真実の表れ。
四、蝉は麦や米の贈り物を受けない(害虫でないということ?)。廉直、方正、正直の表れ。
五、蝉は巣を作らない。質素、倹約、経済の念に厚い証拠。
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アナクレオンの詩(参考『蝶の幻想』)
二千四百年前(と、小泉八雲が言っている)の昔に書かれた蝉賛歌。以下は八雲による英文を日本語に訳したものからのさらに抜き書き。「蝉よ、そなたは幸せな者。そなたは露だけで生き、王者のように高い木の上で鳴くのだから。季節がそなたにもたらすもの、目に映るものすべてがそなたのものなのだ。そなたは何者からも奪わない。だからこそ、そなたは野を耕す人の友たりえるのである。人々はそなたの声を夏の先触れと聞き、ムーサ女神さえもそなたを愛する。あの高らかな声は太陽神アポロンがそなたをいとおしみ、あの高らかな声を与えたのだ。年老いても衰えず、そなたは天からの贈り物。大地に生まれ、歌を愛し、苦しみを知らず、血のない肉体の持ち主…まことそなたは神にも等しい芸術作品である」
ツクツクホウシ(参考『蝶の幻想』)
ツクツクホウシの鳴き声は「つくつくほうし」あるいは「つくつくぼうし」「ちょこちょこういす」と表現されるが、ある言い伝えでは筑紫生まれの男が故郷を遠く離れて病死して蝉になり、「筑紫恋し」と鳴くようになったとも。
トンボの伝説(参考『蝶の幻想』)
蜻蛉の背中に仏像の形に似た文様があることから、蜻蛉は観音様を背負っているとも言われる。どの部分のことを言っているのか、著者の八雲ははっきり書いていない。また、蜻蛉を捕る子は「知恵を得ぬ」という言い伝えがあったらしい。これは蜻蛉が仏様の乗り物であることと関係していると言う。
トンボを呼ぶ童歌(参考『蝶の幻想』)
東京の子供たちは「とんぼとんぼ お泊まり 明日の市に 塩辛買うて ねぶらっしょう」と言いながら蜻蛉を追ったという。おそらくシオカラトンボだったのだろう。
ホタル・螢・ほたる・星垂る・火垂る(参考『蝶の幻想』)
日本には蛍を捕まえて売る商売があった。旅館や料亭などにおろし、宴会のときに放って客人を喜ばせる。蛍の成虫は弱く寿命も短いため、捕まえて籠にいれておくとすぐに死んでしまう。ある蛍問屋では毎年五升もの蛍を始末している。死んだ蛍は薬になる。蛍の油というものは竹の曲げ物を作るときに使うという(※どう使うのか気になる)。中国では監将丸、武威丸などといって、刀で切られても傷つかない薬に蛍の抽出物を混ぜた。また盗難よけ、魔よけ、毒消しの薬にも蛍の練り薬を混ぜた。
茗荷(ミョウガ)の由来
わたくしがやっているメルマガに「茗荷の宿で、ミョウガを食べると物忘れがひどくなるというが実際にはそんな効果はないので、茗荷と冥加(が尽きる)のダジャレになっているのではないか」という話を書いたところ、読者の方がお寺の日曜学校で見たアニメの話をしてくださった。それによれば釈迦の弟子で須梨槃特という人は、自分の名前さえ忘れてしまうほど覚えが悪かったので自分の名前を書いた札をいつも背負っていた。その人の墓にはえた植物なので名を荷なう→茗荷と呼ぶようになったと。
須梨槃特というのは、おそらくパーリ語かサンスクリットか、そこらへんの名前の音だけを写したものだと思うので、この人はインド系の人なのだろうと思った。そこで調べたところ、この人はお釈迦様の十六弟子のひとりに数えられるほど有名な人だった。
彼には物覚えのよい双子の兄がいたそうで、兄は愚かな弟をいつもじゃまにしていた。お釈迦様がそれを見て「おまえはこれで掃除でもしておいで」とほうきを手渡したところ、素直な須梨槃特は掃除ばかりずっと続けているうちに悟りを開き、お釈迦様の十六弟子のひとりに数えられるようになった。
ここまではインド産の仏教説話のような気がする(ただし、なんというお経に出てくるのかまで今のところよくわからない。知っている方はぜひコメントに残してくださると幸い)。問題はその先。
物覚えの悪い須梨槃特は、時に自分の名前すら忘れてしまう。そこで名前を書いた札を背負って歩いていた。やがて須梨槃特が亡くなると、その墓に見慣れない植物が生えてきた。名を荷なって歩く人の墓から生えてきたので人々はこの草を茗荷と呼んだというのである。この話がどこで生まれたかわからない。茗荷は須梨槃特のように音を写したものではないから、もしインド原産のお話ならば、茗荷にあたるサンスクリットかパーリ語の長ったらしい植物名がなくてはいけないのだが、どうもありそうな匂いがしない。すると中国起源の話だろうか。実際中国には植物の名前を説明する伝説がたくさんあるのだが、○○さんちの前に生えてたから、というような人名にこじつけたようなものがかなりある。植物だからと名にくさかんむりをつけているあたりも中国を感じる。
ぱっとしない思いで検索をかけていたら、須梨槃特の晩年の話と思える伝説を掲載しているサイトをみつけた。茗荷上人(須梨槃特のこと?)という人がいまわの際に弟子を呼んで「自分が死んだら裏山に生える草の芽を食べなさい」と言い残した。上人が亡くなると、弟子は悲しみのあまり修行に専念できずに心惑うようになったが、師の言葉を思い出して裏山の草を食べたところ、悲しみを忘れて修行に打ち込めるようになったというのである。この話はどうも日本の香りがする。中国産の仏教説話を中世日本の説話集の編者が脚色したんじゃないかと思うのだが根拠はない。なお、この話が書いてあったサイトのURLは失念したが「茗荷上人」で検索したら出てくるかもしれない。
なんにせよ昔話や落語にある「茗荷の宿」は上の伝説をもとに作られたものらしい。しかし、冥加のダジャレ説も個人的には捨てがたい。冥加というのは本来は仏の加護を意味する言葉だが、悪事をはたらいて仏の加護が尽きても仕方がないなぁというときも「冥加」と言うらしい。>ここの(5)
『蝶の幻想』
小泉八雲(ラフカディオ・ハーン)の虫に関するエッセイ集。異国から来て日本の虫にこれほどの興味と愛と慈しみをそそいだ人も少ないと思う。日本や中国の虫に関する言い伝えや伝説を引きながら、この国の小さな生き物がいかに美しいか、またそれを愛する東洋人の文化へのあこがれを切々と語る。
『島からのことづて』
内容はしらず。フールヤヌカンのことを調べようとするとこの本からの引用を多くみつける。近いうちに図書館で探そうと思う。
雑感
自分の書いたものを本にするつもりで立ち上げてみたが、想像以上に小さな画像しか貼れないようなので手を出しかねている。有料版にすれば画像は大きくなるが、おそらく製本すると白黒になってしまうのだろう。だとすると写真ネタは苦しい。本当は手持ちの虫写真に短い説明を加えたものを毎日更新して100日分で本にしたいのだが、これはカラー写真でないと苦しい。使い道を思いつくまで、この調子でやってみようと思う。どれも引用のレベルを超えないと思うが、本からの丸写しではないことは付け加えておく。
ところで、ここって一日にどのくらいの長さまで書けるんだろう。制限なし?(さすがにこれだけ長くなると登録に時間がかかるなあ。まあ実験だから)
トラックバックとかいうのを送っちゃうぞ
実験だからわたくしもトラックバックというやつを送ってみようと思う。家来がにふちーに実験的にブログを立ち上げたそうなので、そこにトラックバックとかしてみようではないか。家来のとこはココログとかいうもので、自分で書いたものをダウンロードできるかどうかあやしいと嘆いている。わたくしもそこのところが特に気になるポイントで、ここへ来る前に放り出したブログツールは、ダウンロード機能がないか、あるんだかないんだかはっきりしないところばかりだった。はてなで遊んでみようと決めたのは、ここにはまさにダウンロード機能があったからだ。これならいつでも荷造りして逃げ出せる、じゃなくて、好きなときにバックアップがとれるのである。すばらしいことだ。
初トラックバックは成功したらしい
って、ここに書いても家来のブログのURLを知らない人には実験結果が見えないのだろうか。どうもまだ、トラックバックとやらの方向性というかなんというか、どっちからどっちへどうなってるのか感覚的に掴みきれていないような。