ネタ袋

不思議なことや、勉強になりそうな事を書きとめておくブログで、かつては日常の記録としても使われていたことがありますが、これからは不思議な話等をごくごくたまーに更新するかもしれません。

八億年前から来たプリンセス

 ネタ袋はもともと自分の日記に加えて不思議な話をメモしておくネタ帳のつもりで作ったウェブダイアリーでしたが、次第に日記ばっかりになり、そのうち放置して今日に至ります。

 はてなダイアリーが2019年2月いっぱいで終了になるとのことで、はてなブログに引っ越してきました。あまり更新するつもりはないのですが、記念に最近みつけて気に入っている話を書こうと思います。

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 1969年9月初旬、旧ソ連のケメロヴォ地方(Кемерово, Кемеровская область)のティスルスキー地区(Тисульский район)にあるルジャフチク村(Ржавчик)での事である。

 坑夫のカルナウホフ(Карнаухов)は、石炭床から長さ 2メートルほどの大理石の箱をみつけた。それは石棺のようなものだった。彼は仲間とともに棺を掘り出し、地上に運び出した。

 棺を調べてみると、蓋と棺の継ぎ目はパテでしっかりと塞がれている。パテは最初固かったが、太陽熱の影響からか、まもなく透明な液体になって流れ出した。

 恐れ知らずのある者がその液体を舐めてみたという。その場ではなんの異常もなかったが、1週間後に発狂し、半年ほど後に自宅の前で凍死したという。

 石棺を開けてみると、中にはピンクがかった青の透明な液体がいっぱいに入っていた。

 その中に人が入っている。細身で、30代くらいの女性。ヨーロッパ系の顔立ちで、大きく見開いた青い目。背丈は180センチメートルくらい。ダークブラウンの髪の毛は少し赤みがかりカールして腰にかかっている。胴体に添うように白くやわらかそうな腕があり、手には整った爪があった。彼女は透けるような白いドレスを着ている。それには様々な色の花の刺繍があった。下着はつけていなかった。枕元には 25 x 10cmくらいの携帯電話のような形の物体があった。女性はまるで眠っているようで、死んでいるようには見えなかった。

 棺は10〜15時間のあいだ村人に公開されていたが、軍や警察がやってきて村人を遠ざけた。棺に触れた村人たちは緊急の診断を受けることになった。

 棺をヘリで運ぼうとしたが、重過ぎたため、液体を酌み出した。すると中の女性の体が急に黒く変色した。再び液体を注ぐと元にもどったという。棺を封印していたパテは土壌と一緒に採集された。村人たちは解散するように言われた。ヘリは棺をのせてノヴォシビルスク(Новосибирск)に向かった。

 5日後に、ノボシビルスクから年老いた教授がルジャフチク村にやってきて、この件についての調査結果を講演した。この発見は世界を変えてしまうだろうと言った。教授によると、彼女は八億年前に埋葬されたということだ。それは恐竜の出現よりも前、古生代石炭紀のことである。また、彼女は遺伝的にロシア人と 100% の一貫性があったという。

 彼女のドレスは科学的に分析できなかった。今日の文明では作り出せない物質だったのだ。ピンクブルーの液体についても解明することはできなかったが、一部の構成物は古い品種の玉ネギとニンニクの成分だったという。携帯電話のような箱については、分析中で、何もわかっていないとの事である。

 教授が去って数日後にティスルキー(тисульской)地方の新聞が、ルジャフチク村の近くで考古遺物が発見されたと報じて、この事件は世に知られることとなる。

 警察は村人に扇動的な発言をやめるよう釘をさし、ひとまずは騒ぎはおさまるが、真実を追及しようと 1人の男が ソビエト共産党中央委員会に手紙を書いた。しかし彼は 1年後に突然死した。心不全だったとされている。また棺を掘り出した坑夫のうち 6人があいついで事故死したため、人々は沈黙を守るようになり、次第に世間から忘れられたと言う。


 残念ながらこの話は事実ではなさそうだ。2007年、新聞社の取材で石棺を掘り出したカルナウホフの妻がまだこの地で存命であることわかる。しかしそのような事実を彼女は記憶していなかった。 カルナウホフ本人は1984年ごろに白血病で亡くなったという。

 またカルナウホフとともに石棺を掘り出したとされるガルマノフ(Гарманов)という坑夫も近年まで生きており、そのようなことはなかったと証言している。

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 ロシア語の複数のサイトを機械翻訳にかけて読んでまとめました。