残るものは三度考えてから買え、消えものに金を惜しむな
- 作者: 杉浦日向子
- 出版社/メーカー: 世界文化社
- 発売日: 1998/07
- メディア: 単行本
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「残るものを買う時は三度考え、消えものには気前良く金を使え」
江戸っ子は、飲み食い代や、歌舞伎や相撲、芝居、旅行など、娯楽に関する「消えもの」には、お金を惜しみません。高値の初鰹にしても、花火のスポンサーにしても、暮らしに必要不可欠なものではないのに、気分を豊かにするためにぽーんと大枚をはたいてしまうのです。火事の多かった江戸では、灰になってしまうかもしれないものより、娯楽と飲食という心身への自己投資が、最も理にかなったお金の使い方でした。そのかわり、「残るもの」つまり物品の購入は、三度考えて買えと幼少時からしつけられます。店に通って、迷って、そのあいだに売れてしまえば縁がないと諦めます。買ったあとは、そのものの形がなくなるまで修繕を繰り返しとことん使い切ります。収入に比してものの値段がとても高価だった江戸では、騒動買いはいさめられるべきことでした。
この不況のさなか、現代の日本人は、日本古来の「もったいない精神」をみなおして、お金を使わない方向へ行こうとしているようです。でも、それは果たして江戸の心意気なのでしょうか。
江戸の人はお金を使わないわけじゃないんです。どちらかっていうと、今の人が無駄だと考えるようなソフトウェア的なものにじゃんじゃんお金を使ってしまうのです。
もし、江戸時代でも、ものが今のように安くてゴミのようだったら、やっぱり使い捨てると思うんです。もったいない、なんてしみったれたことを言わないんじゃないのかな。
ものの価値が今とは違うから、お金をかける部分も違います。鍋の穴を鋳掛け屋になおしてもらい、繰り返し使ったのは、捨てたら次を買えないほど鍋が高いからだし、着物に継ぎをあてて着るのも、布が高くて新しい着物を作れないからです。現に、風呂屋では着物を盗む者があとをたたず、番台が脱衣所の方を向いているのは、着物泥棒を見張るためです。布が高いので人のお古でも売ればお金になります。
こういった事情を知らず、ものは買わない、お金を使わないと、引き締めてかかったのでは、たぶんずっと不況から抜け出せないでしょう。江戸の人が考える「もったいない」と、現代人の「もったいない」は、もしかしたらぜんぜん違うのかもしれません。