『日本の味 探求事典』
岡田哲・編『日本の味 探求事典』平成八年初版 税込3200円(当時)→税込3360円
日本各地の郷土食的なものや、食材、調理法の歴史など。五十音索引、地方別索引付き。
消えてたので書き直します。でも大した資料じゃないです。ごめんなさい。
◎上記の本より「天丼」についての抜き書き。
天ぷらを丼に盛り、炊きたてのご飯の上にのせる<天丼>は、江戸中期の天保二年(1831年)に創業の橋善が考案したもの。江戸期の面影を残す厚めの衣で、小エビ・貝柱・三つ葉を入れた巨大なかき揚げは、食べきれないほどで絶品である。橋善の天ぷらの屋台は、慶応元年(1865年)に、店舗になる。
この文章でわかること。
- 橋善は天保二年に創業した
- 橋善の屋台は慶応元年に店舗になった
- 橋善で天丼を考案した
残念ながら、天丼がいつ作られたかは書かれていませんでした(ね、大した資料じゃないでしょうw)。ちなみに「天ぷら」の歴史だったらもっと詳しく書かれていました。量があるので抜き書きはしません。
◎他人丼(開化丼)についての抜き書き
鶏肉の代わりに豚肉・牛肉を使うと、<他人丼><ままこ丼>となる・関西のメニューに見られる。
◎親子丼についての抜き書き
下町の人形町に、シャモ鍋専門の「玉ひで」という、江戸中期の宝暦十年(1760年)に創業の老舗がある。明治の初め頃、鶏のすき焼きのわりしたで卵をとじて、ご飯の上にのせることが客の間で流行した。明治の中頃になり、親子丼として売り出したところ、大評判になったという。今もなおお昼時になると、一日三百食の丼目当てに長い行列ができている。
- 鶏の卵とじをご飯にかける食べ方は明治の初め頃に玉ひでの客が考えた
- 親子丼という商品になったのは明治の中期
- 親子丼→他人丼(開化丼)という流れならば、他人丼のはじまりは明治中期以降
- 他人丼は関西方面で多く見られる
人形町 玉ひで
http://www.tamahide.co.jp/