ピンは一、キリは本当に十?
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http://d.hatena.ne.jp/chinjuh/20041116#p3
http://d.hatena.ne.jp/chinjuh/20041117#p3
↑遠い昔、個人的に大騒ぎだったこの話の蒸し返し。
- 「ピンからキリまで」という言葉がある。ピンが「一」なのはいいとして、「キリ」はいくつ?
- サイコロのピンは「一」ならキリは「六」であるべき。
- 暦や時計なら12進数なのでキリは十二ではないか?
- 花札も12ヶ月分なのでキリは十二。現に十二月の花は桐(キリ)。桐は初夏の花であって十二月とは関係ない。にもかかわらず十二月が桐なのは、これっきり(最後)という意味の切りとの掛詞になっているのでは?
- 日本語の「きり」は、「きりがいい」「くぎり」「これっきり」などという時の「切り」で、必ずしも十ではない。五でもよければ十二でもいい。区切りさえよければ。
- 以上のことを考えると、キリは必ずしも十ではない。
- ピンの語源はポルトガル語の「pinta(点)」であるらしい。サイコロの「一」は「・」なので納得できる。
- キリの語源をポルトガル語のcurz(クルツ、十字架)とする説がある。
この件についてコメントを下さった方が、ブログに面白いことを書いてた。
http://d.hatena.ne.jp/oomesikurai/20070604
「きり」は1678年、「切」は1679年から初出し、多くの資料に使用例が確認されています。
『俳諧胴骨(はいかいどうほね)』延宝六年(1678)
つはさにも札を付たる人あれは
うつ十馬のきりん鳳凰
これを見ると、あきらかに「十」という文字と「きり」という発音がかかってる。わたしは、ピン・キリのキリは日本語源で、必ずしも十である必要はないと思っているのですが、少なくとも江戸時代初期にはキリという言葉に十の意味があったようです。
そこで改めて考えを追加すると、
- 日本語の「きり(これっきり、きりがいい、おおぎり…などのきり)」は必ずしも十とは限らない。
- 西洋文化が入ってきて、キリストが十字架にかけられて死んだ故事も知られるようになった。
- 日本人は駄洒落(というか掛詞)が好きなので、「きり」と「キリ(キリスト→クルツを連想→十)が自然に結びついた。※この時点ではキリに最低の意味はなかったのではないか?
- 江戸時代になり、キリシタン禁止令が厳しくなると、キリ=十字=キリストを信仰すると厳しく処罰される(殺される)という図式が生まれ、キリに最低の意味が追加されたのではないか。
こんな感じでしょうか。ピン・キリ問題は深いねー。