ネタ袋

不思議なことや、勉強になりそうな事を書きとめておくブログで、かつては日常の記録としても使われていたことがありますが、これからは不思議な話等をごくごくたまーに更新するかもしれません。

銅鏡の裏表

教科書(など)に掲載されている銅鏡(など)の写真は、殆どが使用す… - 人力検索はてな

 古代の偉い人が大事にしてた銅鏡。たいてい丸くて動物や植物の文様がごてごてレリーフになってる銅鏡。銅の鏡なのに、あんなにごてごてしてて、どこで何を写すんだろうって思いませんでした?

「そんなの、現代の手鏡と同じで、ごてごてしてるのが背面。鏡になってるのは反対側」

 そう思ったあなたはそうとう頭がいいと思う。歴史関係の本に出てる写真は、あくまでごてごてしてる装飾側で、鏡になってるほうの写真は掲載されていないんです。

 なんで掲載しないかというと、当時の技術とか文化とかを紹介するには装飾側だけでいいっていうのと、古墳や遺跡から出てくる銅鏡はすっかり錆びてて、裏返したところで鏡として機能しないので見せても意味ないってのがあるでしょう。

 でも、そのおかげで銅鏡が実用品だったってことに気づかずに過ごしちゃう人も多いんです。わたしも小学校の六年の頃までそうだった。鏡とは言っているけれど、これは何かを象徴するためのアイテムで、現代のようにものを写す道具ではなかったんじゃないか、なんてことをおぼろげながらに考えてた。そのくせ、「卑弥呼は誰かと謁見する時に太陽の光を鏡で反射して目をくらませ、自分の顔をみせないようにした」なんて情報は知ってたんです。その、反射に使った鏡と、教科書に載ってる銅鏡の写真がぜんぜん結びついてなかった。

 それが結びついたのは小六のころで、先生が授業中に「鏡になってるのは裏なんだけどね」と口にしたからです。もう、目からウロコが百枚くらい吹っ飛んだ感じがした。そうか、鏡になってるのは反対っかわなんだ!

 それがわかると次々にいろんなものが結びついた。先に書いた卑弥呼の話もそうだけど、神社の奥で金色に光ってる丸いもの、あれも鏡だったんだなって(こういうやつね)。

 その後、魔鏡というものの存在も知りました。それはガラスではなく金属を磨いて作った鏡で、光を反射させて壁を照らすと、照らされた場所に文字や絵が浮かび上がる謎の鏡です。でも鏡そのものを見ても模様はついてない。背面に絵や字をレリーフした金属板を丁寧に磨いていくと、わずかにでこぼこができるのです。そのわずかな凹凸が光の反射する方向を変えるので、照らされた場所に背面の模様が出るという仕組み。金属の鏡を使っていたからこその発想だと思う。

 最近は各地に郷土資料館があって、古代人体験をさせてくれるコーナーが用意されていることがあります。以前どこかの郷土資料館で銅鏡を見せてもらいました。本物ではなく、古代の製法で作った新しい銅の鏡です。何が違うって、まず緑青をふいてない。教科書に出ている銅鏡が青いのは錆びてるからです。銅の錆びは緑青といって青いんです。錆びる前の鏡は銅色(あかがねいろ)してる。

 きれいに磨かれた麺は、お菓子の缶の蓋みたいなもんです。たしかにツルツルだし光は反射するようだけど、ガラスのようにシャープな像は結びません。というか「これ、ほとんど何も写らないのね?」という感じ。

 そこへ博物館の人がやってきて、

「そっちじゃなく、こっちを向いて使ってみてください」

と、鏡ではなく自分の顔に光が当たる方向に導いてくれたような気がするんですが、そのあたりはうろ覚え。

 するとどうでしょう。今まで何も写っていなかった鏡に自分の顔がきれいに写るんです。そりゃガラスの鏡のようにはいきませんけど、これならお化粧なおしくらいできるというレベルに写るじゃないですか。この体験はそうとうな衝撃でした。こんな風にしか写らないんだ、という驚き。こんなにきれいに写るんだ、という驚き。同じような体験はお菓子の缶の蓋とか、CDのデータ記録側でもできるはず(銅鏡とそっくり同じとはいかないし、銅鏡で体験したのほど驚かないと思うけれど)。

 そういえば時代劇などで、手鏡を置く台が壁側ではなく障子(しょうじ)の前に置いてあるのを見たような気がするんだけれど、もしかしてそういうこと? 障子に向かって座ると顔に光があたり、手鏡にうまく顔が写るということなの?!