インフルエンザの呼び名と由来
古い順。年号も書こうとしたけど西暦に統一しようとして失敗しそうな気がしたのでやめました。
当時はやった浄瑠璃の『恋娘昔八丈(城木屋お駒)』に由来する。
材木商城木屋の娘お駒には才三郎という恋人がいるが、番頭の丈八もお駒に惚れている。父親の店が火事を出して困っていた時に援助してくれた佃屋喜蔵と祝言を挙げなくてはならなくなった。三角関係ならぬ四角関係である。意に染まぬ祝言に悩むお駒に、丈八は毒薬を手渡して喜蔵を殺すようにすすめる。夫殺しが発覚し、お駒は鈴ヶ森で処刑されることになるが、才三郎が主犯の丈八をふんじばって連れてきたのでお駒は赦免される。タイトルの「昔八丈」は、小駒が鈴ヶ森に連行される際に黄八丈を着ていたことから。
同じ話を題材にした落語もある。お駒にふられた丈八は、お駒を殺して自分も死のうとするが失敗する。裁きをうけるにあたり、自分の半生を語る丈八。駿河の御城下で生まれたという丈八に、奉行がひとこと「この府中(不忠)ものめ!」
相撲取りの二代目谷風梶之助に由来する。「わしが倒れているのを見たければ、わしが風邪にかかえった時に来い」と言ったため、天明四年頃に流行ったインフルエンザを谷風と呼んだ。
相撲取りの二代目谷風がこの年にインフルエンザにかかり、現役のまま亡くなったことから、谷風と誤称されることがある。
八百屋お七の小唄が流行った年に流行したことから。
<ネンコロ風>
この年にねんねんころころ節という小唄が流行ったことから。
この年に流行った小唄のお囃子に「ダンホサン・ダンホサン」とあることに由来。
<津軽風>
<琉球風>
この年に琉球人の来朝(江戸上り)があったことから。
<アメリカ風>開国により下田に上陸した米人が流行させた、という噂に由来する。
<稲葉風(ここより維新後)><スペインかぜ>
第一次世界大戦中に流行したインフルエンザで、当時参戦していなかったスペインだけが世界に向けた報道を自由にできたため、スペインから報道された風邪という意味でスペイン風邪と名付けられた。
参考サイト
http://www.ddmap.jp/influ2008/about.html
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E8%B0%B7%E9%A2%A8%E6%A2%B6%E4%B9%8B%E5%8A%A9_(2%E4%BB%A3)
http://ginjo.fc2web.com/144sirokiya/sirokiya.htm
http://homepage2.nifty.com/hachisuke/yukahon/sirokiya.html
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%B9%E3%83%9A%E3%82%A4%E3%83%B3%E9%A2%A8%E9%82%AA