古代にもあった国家間のスパイ合戦?(日本書紀)
「(推古天皇の九年)秋九月の辛巳の朔戊子に、新羅の間諜(うかみ)の者 迦摩多(かまた)、対馬に至れり。則ち捕へて貢る。上野に流す」日本書紀
この頃、日本は朝鮮半島の任那という地方と仲良くしていた、というか、支配していたっぽんです。その頃の朝鮮半島には新羅・百済・高句麗という国があって、日本はそのすべてと国交があるみたいで、日本の天皇のところに使者がやってきて珍しいものを献上した、というようなことが『日本書紀』に書かれています。
そうしたある日の推古天皇の八年、新羅と任那が戦争をはじめます。推古天皇は日本から兵を送って応戦、一度は勝んだけれど、また新羅に攻め込まれてしまいます。そこで、百済と高句麗に使者を送り「急に任那を救へ」とお願いします。そんなさなかにやってきたのがスパイのカマタさん。対馬で捕まって現在の群馬県あたりに流刑にされたというわけ。日本に潜入して何をする気だったのでしょう。