ネタ袋

不思議なことや、勉強になりそうな事を書きとめておくブログで、かつては日常の記録としても使われていたことがありますが、これからは不思議な話等をごくごくたまーに更新するかもしれません。

古代日本で観測されたオーロラの記録?(ふしぎ発見・日本書紀)

 「(推古天皇の二十八年)十二月庚寅の朔に、天に赤き気有り。長さ一丈余。形雉尾(きぎすお)に似たり」

 「世界ふしぎ発見」では、この記述をオーロラの観察記録として紹介していました。オーロラは日本でも北海道あたりではたまに観測されますし、2003年の11月には長野県でも観測されました。

 日本で見えるオーロラは、空がぼやーっと赤くなる程度で、北極や南極で見られるようなカーテン状のものではありません。ところが『日本書紀』には「雉(きじ)の尾」とあります。縞模様の入った長い尾羽が扇状に広がったような感じを想像すればよいと思うんですが、たんに空が明るくなったとかではなく、光が何本もの筋になってゆらめいている様子を描写しているように思えます。これが本当にオーロラの記録だとしたら、そうとう強烈な太陽の活動があったってことなんでしょうか。

 番組では江戸時代の観測例として「夜紅気弥北天子刻正見図」というのも紹介しています。赤い光の筋が、北の山から空にむかって扇状に立ち上る様子を図にしたもので、明和七年七月二十八日と記されています。日本でもこんなふうに見えることがあるんですね。


 以下は昔わたしがやってた日記からの引用で、藤原定家の『訓読明月記』に出てくるオーロラの観測記録について。

 『訓読明月記』全六巻を図書館で借りてきた。藤原定家が書いたもので、思いっきりタダの日記だ。「○月×日今日は晴れ、上司に呼ばれたから御殿に行って、それから一緒に参内した」なんてことがダラダラと延々書かれてるだけ。よっぽどこの時代に興味がないと全部読破する気になれん。

 問題の低緯度オーロラ目撃記は元久元年にあるらしい。うーん…(熟読中)…あった!

 「(元久元年正月)十九日。天晴る。病気甚だ不快…(中略)…秉燭以後、北并に艮の方に、赤気あり。其の根ハ、月の出で方の如し。色白明にして其の筋遙かに引き、焼亡するが如くに遠く光る。白き色四五所、赤き筋三四筋、雲にあらず、雲間の星宿にあらざるか。光聊かも陰らざる中に、此の如き白光赤光、相交はる。奇して尚奇すべし。恐るべし、恐るべし」

 「(元久元年正月)廿一日。天晴る。風烈し…(中略)…秉燭以後、北艮の方に又赤気あり。山を隔てて焼亡するが如し。重畳、尤も恐るべし」

 なるほど、これは迫力のあるオーロラ目撃記だわ。日付は昔の暦なので今でいうと二月下旬か三月の初め。秉燭以後だっていうから蝋燭を手にするような時間、つまり夜のこと。艮は北東の方角だから、北艮はもうちょっと北寄りってこと。「赤い光や白い光が交わって、非常に珍しいできごとで恐ろしい、山の向こうが燃えているように見える」と書いてあるよ。よっぽど驚いたみたい。同じ年の十二月二十九日に東の方に赤気あり」とあるんだけど、こちらはサラッと書き流してる。方角も違ってるし山火事か何かだったのかな。
珍獣日記えくせれんと


参考>
【投稿画像集】低緯度オーロラの出現を捉えた
2003年に日本で撮影されたオーロラの写真が掲載されているサイト


# 番組では「カナダの先住民族は口笛でオーロラを呼ぶ」という話もしていた。オーロラ写真家が実際に口笛でオーロラを呼んでいたのも偶然とはいえ面白かった。