ネタ袋

不思議なことや、勉強になりそうな事を書きとめておくブログで、かつては日常の記録としても使われていたことがありますが、これからは不思議な話等をごくごくたまーに更新するかもしれません。

アタカマ地上絵の謎(世界ふしぎ発見)

 チリ北部、アタカマ砂漠には、400年間雨が降ったことのない地域がある。そのため世界でもっとも乾いた大地、もっとも過酷な大地、などと呼ばれる。

 アタカマ砂漠には大小5000をこえる地上絵が残されている。ナスカの地上絵とは違い、丘の斜面に描かれているため地上からも見られる。酸化して黒くなった石ころを並べて描かれている。紀元400〜1500年にかけて、この砂漠で暮らしていたアタカメーニョ(アタカマ人の意)と呼ばれる人たちが描いたもの。彼らはペルーやボリビアからアタカマに移住してきて十六世紀になんらかの理由で姿を消した。

 アタカメーニョはオーストラリアで見られるようなレインスティックを雨乞いに用いたといわれている。サボテンを乾燥させて空洞にしたものにサボテンの針を刺し、砂を詰めて、傾けるとシャラシャラと雨のような音がする。今ではスペイン語でパロ・デ・ジュビア palo de lluvia (雨の棒)と呼ばれ、楽器として使われている。※番組では「その昔、砂漠を歩いていた人が朽ち果てたサボテンを拾い上げてみると、雨のような音がするのに気が付いた」ともっともらしく説明していた。

 アタカマ砂漠では日中の日差しで地熱が上昇した時、海からの風とアンデスからの風がぶつかりあうと竜巻が頻繁に起こる。番組では現地ドライバーが小さな竜巻の中心部の飛び込む面白い映像が見られた。

 アタカメーニョは高い文明をもっており、プカラ遺跡などが残されている。日干し煉瓦を積んで作った家にイチュと呼ばれる葦のような植物でやねをふき、町から14kmも離れたオアシスから石造りの水路で水を引いた。畑ではトウモロコシやインゲンなどのさまざまな農作物を栽培していた。プカラ遺跡から北へ車で2時間、標高3200メートル、人口320人のソカイレ村はアタカメーニョの生活を今でも伝えている。

 ソカイレ村のジャガイモは皮を剥くと紫色をしている。スペイン語でパパ・モラーダ papa morada(紫色のジャガイモの意)と呼ばれている。

 アタカメーニョは農作物を交易品として砂漠の西(海岸地帯)に運び、海鳥の糞(肥料)や海草などと交換していた。そのため、アタカメーニョが残した地上絵は、山岳地帯でありながら海鳥や銛を持つ猟師など海に関係したものも残されている。海岸地帯へ出るには砂漠を何ヶ月も歩かなければならず、その旅の道しるべとなるように地上絵を残したといわれている。地上絵に多いのはリャマを描いたもので、そのほとんどが西をむいており、砂漠から海岸地帯への道に点在している。

 アタカメーニョのキャラバン隊は、過酷な砂漠を旅する時に、蛇などから身を守るために、リャマの首に鈴(というか、カウベルのようなもの)をつけてを守り神とした。リャマの一群を描いた地上絵の先頭に、鈴を神格化したといわれている人型の地上絵が描かれている(なぜそれが鈴といえるのか、どうも納得がいかないが)。

 アタカマ砂漠、標高 4500メートルのところに、真っ青な水をたたえる湖がある。スペイン語でラグーナ・ベルデ laguna verde(緑の湖)と呼ばれている。アンデスの雪解け水に含まれるミネラル分によって水が青く、太陽の反射でエメラルドグリーンに見えるため。この湖は塩湖で、湖畔には塩が白く結晶している。その味は塩辛いというより苦いとレポーターが表現していた。アンデス山脈は太古の昔、海底だったため、土壌に塩を含んでいる。また、極端に雨がすくないため、塩湖や塩田があちこちで見られる。湖のほとりには塩をとりにきたアタカメーニョが残した暴風用の石積みが残されている。また、自然にわいた温泉を利用した跡も見られる。

 チリのエルセニエンテ銅山には世界で一番大きいといわれている水晶の結晶がある。縦横45cm 長さ150m(センチメートルではなくて「メートル」)。温泉に多く含まれる珪酸が水晶を形成している。アタカメーニョは水晶を氷の化石とし、口に含んでいればのどの渇きを癒すと信じていた。