1984年台北近郊の炭鉱事故と人肉食
人食人、人相食、夫食婦、婦食夫、易子而食----という人間が人肉を食べた記録は、いくらか注意深く史書を読みさえすれば、随所に見つけ出すことが出来る。あの春秋戦国の覇王桓公は「子供の丸蒸し」を「料理」として賞味した。宋代には、人肉料理のメニューがある。そのころ食肉用の人間は「両脚羊」と呼ばれた。つい最近では、一九八四年の十二月五日に、山東省出身の周宗魯さんが台北近郊で人間の肉を「賞味」している。
周宗魯さんは、そのときの炭鉱事故で、ただ一人生き残った。もちろん生き残るために人肉を食べたのだが、それだけではニュースにならない。彼は陥没した坑内で、いろいろと人の肉を食べ比べた。
そして記者の質問に答えて----息の切れた人間の肉はおいしくない。やはりまだ生きている人間の肉の方が「うまかった」----と答えている。それが大きなニュースとなった。しかし、大騒ぎになったわけではない。
それについて、台湾大学の医学部は生理学科の主任教授、傅祖慶先生がコメントを求められた。先生はおもむろに、その蘊蓄を傾けて----人肉と牛肉や豚肉のいずれが、より栄養価高くて、より「うまい」か----を急いで小論にまとめあげる。そしてそれを----新聞紙上に発表した。
安納務・訳
封神演義(上)まえがき より
◎百度百科・台湾炭坑(台湾矿坑)
http://baike.baidu.com/view/2044461.html?tp=1_11
台湾矿坑灾变
1984年台湾北部发生三次严重灾变,死亡人数至少277人。1984年6月20日,台北县土城市的海山煤矿发生灾变,由于台车第7车和第8车的插哨没有插好,造成台车滑落,又因为撞击到高压电,引发的火花和漫布在空气中的煤粉接触,引发爆炸,未在撞击过程中丧命的矿工,也因为空气中布满了一氧化碳而丧命,该次灾变共有74人死亡。不到一个月后的7月10日,在台北县瑞芳镇的煤山煤矿也发生了103人死亡,22人轻重伤的灾变,是台湾矿业史上最大的灾变。到了年底12月5日,台北县三峡镇的海山一坑发生灾变,共有93人死亡,在将近5天 (93小时)获救的矿工周宗鲁,是唯一生还者。[6] [5]
周宗鲁在发生灾变的矿坑中为求生存,找到一处通风口,避免吸入矿坑中的一氧化碳,并用安全帽收集尿液,但因矿坑中摄氏40度的高温,让尿液发酵,仅能用于湿润嘴唇,幸好找到由岩壁滴下的水,才免于因缺水死亡的威胁。周宗鲁表示,在矿坑中,曾经试着吃木材维生,但无法下咽,最后只好吃往生同伴的肉来止饥。获救后的周宗鲁成为一位传道的牧师。[
この記事によれば、生き残った周宗魯さんは、空気の通う場所をみつけて一酸化炭素中毒をまぬがれ、さらにヘルメットで屎尿をあつめて唇をうるおし、岩から水がしたたるのをみつけて乾きで死ぬ恐怖から逃れることが出来たとある。食料については木材の繊維を食べようとしたが飲み下すことができず、仲間の肉を食べて飢えをしのいだ。生還してからは牧師となったという。
# どっちかっていうと人肉の栄養価や味について小論をまとめたという教授がどういう人なのか気になるかも。