ネタ袋

不思議なことや、勉強になりそうな事を書きとめておくブログで、かつては日常の記録としても使われていたことがありますが、これからは不思議な話等をごくごくたまーに更新するかもしれません。

生田に行って、都庁に寄って

 去年なくなった知人のお墓参りで神奈川の生田のほうまで出かけて、帰りに新宿のほうへまわってスパゲッティーを食べて、都庁の展望質に登って、亀有で中国茶を買って帰るという盛りだくさんな一日でした。


 去年亡くなった知人というのは、正確に言えば知人の知人みたいな人で、うちの日記なんかも頻繁に読んでくれていたりしましたが、去年のちょうど今頃、突然あの世に行ってしまいました。関係者が読んでいるかもしれないので、あまり正確なことは書くべきではないのかもしれないけれど、まあその、自らの手で命をたったという状況でした。
 自殺となると、一体なぜ、どんな方法で、というのがどうしても気になるわけですが、正確な理由は本人にしかわからんのでアレですけど、自分を無価値なものと思えるような瞬間というのは誰にもあるわけで、それがずっと継続して、出口のない迷路にはまっていってしまったみたいなのです。それほど頻繁に会って話すような間柄ではありませんでしたが、半年以上姿を見せず、噂も耳にしなくなっていたので、よほど長いこと悩んでいたのではないかと思います。

 わたくしは、こういうことに冷たいタチで、死のうと思って死ねちゃうのは寿命のうちとさえ思っています。ヤツが首を吊ったんだってよという噂が聞こえてきたとき、不覚にも最初に出た言葉は「で、どうやったらあの巨体で首なんか吊れるのさ?」でした。山奥とかじゃなく自宅で実行したらしいのです。昔の家ならいざしらず、現代家屋で首を吊るのは至難の業でしょう。電気の笠をつるコードではヤツの体重を支えられるはずもなく、それ以外のところでは足がついてしまうと思ったのです。

 そんな思いをいだきつつ、数日後に葬儀に出席しました。彼は宗教を持っていなかったので(彼の実家も、そういうことに頓着しない家系であるらしいのです)お坊さんも呼ばずに身内だけで静かに別れをつげるお葬式でした。

 出棺前に見た彼の顔は赤黒く鬱血して、いつにもましてむくんでいました。この手のことに冷たいわたくしは「なぜ死んだ」なんてお約束の台詞を言うことはありませんでしたが、その死を知るほんの一カ月ほど前に「そういえば Z 氏はどうしてるのかなあ。今度カラオケにでも誘ってみようかと思うんだけど」なんて話をほかの知人としたばかりだったのを思い出して、おまえ、わたくしが誘う前に死ぬとは、いったいどういう魂胆なんだよ、げしげしと、棺桶に蹴りをいれそうになるのを必死でこらえました。

 それから数日後、仲間が集まって彼の遺品を整理しました。遺品整理というよりは強引な形見分けと言うべきような作業だったかもしれません。彼はそうとうなオタクだったので、部屋には漫画とパソコンの部品と中島みゆきグッズが山と積まれていました。しかもエッチぃ女の子の漫画などがたくさんあったりして、そういうものに耐性のない遺族が丁寧に処理できるようなレベルではなかったのです(いや、わたくしは単純にヤツの聖域がどんなんだったか見たかっただけなんだけどさ)。そこで仲間がよってたかって使えそうなものを抜き取って、残りは便利屋を呼んで処分してもらおうということになったのです。

 その時はじめて、彼がどこで首をつったのか知らされました。詳しく書くとあまりよろしくないと思うので書きませんが、なるほどそこなら彼の巨体も支えられそうな場所でした。ただし本人の意志で足を曲げていられるのなら。苦しみのあまり足をついてしまえば助かるような低い場所でした。こんなところで死ぬなんてうまいことやりやがった…じゃなくて、よっぽど悩んでいたのだろうと思いました。

 人は死を恐れないとしても、死の過程は恐れるのではないかと思います。死ぬまでにどれほどの痛みにたえなければいけないのか、失敗して重い後遺症が残ったときにどうすればよいのかという不安、生きることさえ厭わしい精神状態で、場所や道具を選び死ぬための工夫をしなければならないという厭わしさ。それを思うと、この世に未練などないと思っていても、なかなか実行に移せないものだと思うのです。

 彼の場合は発作的に飛び降りてしまったとかではなかったので、そういった煩わしさをおしてさえ死を選んでしまうほど悩みが深かったということなのでしょう。ここで涙のひとつも流せばしおらしいのですが、わたくしが心の中で思ったことは「とりあえず、せっかく死んだのだから、死んでまで悩んでたらタダのバカだぞ」でした。死んでも死にきれずに迷いつづける亡者もいると聞きます。ヤツがそんなふうになったら、どのような手をつかってでもあの世にたたき返してやるつもりです。一度この世に背をむけたのに、まだ居座ろうなんて甘いのであります。

 でもきっと、大丈夫。きっとあの世でもよろしくやっているに違いありません。可能ならばぜひぜひあの世ライフをレポートしていただきたいと思います。彼はライターだったので、テクニカル系の雑誌を読む人ならば、ひょっとすると彼の文章を読んだことのある人もいるかもしれません。ちなみにわたくしはそういう雑誌をほとんど読まないので、どんな仕事してたかは知りません。←冷たすぎる

 などと、だらだらと書きましたが、そんな知人が死んで一年目なのでお墓参りに行きました。生田ってところにあるでっかい霊園に入ってるらしいんです(くそー、金持ちだなあ)。宗教を持たない家系なので、一年たったからといってイベントもないそうです。有志が自由行動でお墓参りに来たりする程度みたいです。ま、それもよしって感じですよね。生前なんの興味もなかったお経を死んでからあげられたからって、大した意味はないでしょう。

ハシヤのウニスパ お墓参りをすませて、東京方面にもどりながら幡ヶ谷のハシヤでスパゲッティーを食べました。ここには 5 年前に故人を含む仲間と食べに来たことがあります。彼はここの常連だったので、店員さんが「ルバイヤートを見るたびに思い出す」と言ってました。丸藤酒造ってところの国産ワインです。ヤツは毎年秋になると甲州までルバイヤートを買い付けに行ってました。その時の模様も日記に書いたような気がします。そうか、ヤツはうちの日記のおいしいネタ袋様であらせられたのだね。まったく惜しい男を。

 幡ヶ谷なんてたまにしか来られません。何か目新しいものを食べようかと思いましたが 5 年前に食べたウニのスパゲッティーイカ入りにしてみました。ここのウニスパは濃厚で本当に美味しいのです。5 年も前に食べたものなのに、今でも時々思い出して「ウニスパ…」とつぶやいてしまうほどだったので、これもなにかのご縁と心おきなくウニスパを楽しませていただきました。うまいぞー、あの世にはハシヤはないだろ、うらやましいか、けけけ。