ネタ袋

不思議なことや、勉強になりそうな事を書きとめておくブログで、かつては日常の記録としても使われていたことがありますが、これからは不思議な話等をごくごくたまーに更新するかもしれません。

ピンからキリまで2

 昨日は「ピンキリのキリの語源が十字架だなんて納得できん、他に説はないのか」という話をして花札の桐の話をちらりとして、疑問形のまま終わらせてしまいましたが、実は花札の桐と結びつける説を、聞いたことがないわけじゃないです。ただ、どのくらい信用出来るものかはよくわからないのですが。
 そこで、ピンキリ花札説についてすこし書いてみようと思います。わたくしが十字架説よりも納得できると思うそれは、トランプや花札の歴史と関係するものです。

  • トランプはインドあたりが発祥で、それがヨーロッパに伝わって現在の形になった。
  • 日本に入ってきたのは安土桃山時代で、当時のトランプには棍棒カップ・貨幣・剣の四種のマークがあり(これは現在でもタロットカードに引き継がれている)、それぞれのマークが1〜9までの数字札と3枚の絵札で更正されている。つまり現在とはちがい、12*4=48枚のカードでひとそろいだったらしい。国産トランプ(当時はカルタ、つまりカードと呼ばれていた)第一号は、16世紀に作られた天正カルタで、今でいえばタロットカードの小アルカナによく似た品である(参考>http://www.city.kobe.jp/cityoffice/57/museum/meihin/5_namban/056.html)。
  • トランプ(天正カルタ)は賭博に使われたことから、何度も禁止令が出ている。江戸時代には特にきびしくなり18世紀末には一切の販売を禁止されてしまった。そこで現れたのが花札である。
  • 天正カルタは4種のマークにそれぞれ9枚の数字札と3枚の絵札のある構成になっているが(つまり48枚)、花札は一月〜十二月までの季節札がそれぞれ4枚ずつで48枚という構成になっている。

 12枚*4種=48枚のトランプが、4枚*12種=48枚の花札になった流れはこんな感じ。そこであらためてピンとキリの語源を考えると、ピンがポルトガル語のpinta(点)から来ているのは正解のような気がします。サイコロの 1 が点なので、pinta と呼ばれ、それが日本語化してピン= 1 になったと説明されることが多いですが、よくよく考えるとトランプの 1 も、ハートなり、スペードなりのマークが、カードのまん中に 1 個あって、点のように見えます。なので、カードの 1 もピンと呼ばれたのではないかと思います(あくまで想像です。こういうのは当時の文献にそういう用法が載っていないかぎり、どんなにもっともらしくても仮説でしかありませんから)。
 では、キリにあたるのはなんでしょう。これは cruz ではなく、日本語のキリ(切り/限り)じゃないでしょうか。寄席では最後の出し物を切りというそうです。テレビ番組の笑点で座布団争奪知恵比べのことを大切りというのは、出し物の最後にやるからです。能や狂言の用語にも切りという言葉で最後を意味するものがあるそうです。これまた古い文献をあたらないとあくまで想像にしかなりませんが、以上のことから考えてトランプの最後の札をキリと呼んだのではないでしょうか。
 花札の十二月が桐(キリ)なのも偶然ではないと思います。キリ(最後)の札だから桐。そもそも桐の花は初夏に咲くものなのに、なぜ十二月の札が桐なんですか? ダジャレになってるからだと思うんですけど、どうでしょう。
 そう思うと、一月が松なのも、単純に松の内だからではなく、ピンという発音が松を意味するポルトガル語の pinho に通じるから、だなんてことも考えてしまいますが、さすがにそこまで行くと突飛かもしれません(でも関係してるといいな)。
 と、ここまで書いて、ふたたび某社関係者様のピンキリ関連記事を見に行ったら、コメントに面白いことを書いてる人がいました。

 アフリカで最も低い山は ピンナナゴブゥ山であり アフリカで一番高い山といえば キリマンジャロ山である。登山家たちがすべての山を意味する言葉として、ピンからキリまでと言うようになった。

 これはかなり面白い説で、話のたねに頭の引き出しに入れとこうと思うんですけど、納得できるかというとしかねます。この説を信用するならピンからキリまでという言葉は日本人がアフリカの山に登るようになってからの新しい言葉ってことなのでしょうか。
 そういえばピンキリはいつごろから使われてる言葉なんでしょう?
 ピンは古いんですよ。三一侍(さんぴんざむらい:三両一人扶持の下級侍のこと)とか、ピンぞろ(一のぞろ目ってこと)とか、けっこう古くからあったはずなんですけど、キリもセットで言われるようになったのはいつなんでしょうね?