ネタ袋

不思議なことや、勉強になりそうな事を書きとめておくブログで、かつては日常の記録としても使われていたことがありますが、これからは不思議な話等をごくごくたまーに更新するかもしれません。

柴又帝釈天の由来(新編武蔵国風土記)

題經寺

 法華宗、下總國葛飾郡中山村法華經寺末、經榮山と號す、相傳ふ古は草庵のことくなりしを、寛永六年本山十九世禪那院日忠草創せしよりこの僧を開山とす、萬治三年十月十六日寂せり、其後延寶年中本山の塔頭正善坊、後院と號す、日遼、當寺を兼帯して其功ありしより中興と稱す、

帝釋天像

 縁起の略に云、當寺に日蓮彫刻せし祈祷本尊とて、寺寶にありしよし、古へより云傳へしか、其所在を知らす、然るに安永八年本堂再建の時棟上より長二尺五寸、幅一尺五寸、厚さ五分許の板出たり、水をもて其煤塵を清めしに、片面は病即消滅の本尊を彫し、片面には帝釋天の像を刻せり、板の小口は松に似て脇の方は檜に類し、堅く重きこと尋常ならす、是即ち言傳へし日蓮自刻の寺寶なりとて、本山に達しかの帝釋天は庚申に因あり、又屋根裏より出たるも庚申の日なれは、其日を縁日とせしより、次第に近郷の土人信仰なし、江戸にても信する者多く、又其像を乞へば板の兩面を摺冩して與ふ、今假に本堂に安し、社は未た造立ならす、其の圖次の如し、(挿し絵)