ネタ袋

不思議なことや、勉強になりそうな事を書きとめておくブログで、かつては日常の記録としても使われていたことがありますが、これからは不思議な話等をごくごくたまーに更新するかもしれません。

節分と落花生

 先日の「所さんの目がテン」は、大豆を煎るとはぜて音がするので節分に使われるようになったと煎っていたました。たしかに音は大事だと思う。番組で紹介していた浅草寺追儺でも金や太鼓で音を立てて鬼を追い払っていたし、昔の宮中では弓の弦をはじいて魔を払っていたはず。

 ただ、他の豆ではいけないのかと、小豆と落花生を煎ってたのはなんでだろう。小豆はいいけど落花生はブラジル原産だそうですよ。まあ、江戸時代には日本にあったそうだから新しくもないんですが、豆まきの起源とどっちが古いんだろうという、ぜんぜん別の疑問が湧いてしまい、素直に感心できなくなっちゃうんだよねえ。

 それで、そもそも追儺に豆をまくようになったのはいつからなんだろうと思うんだけれど、検索すると宇多天皇の時代に鞍馬山の鬼に豆をぶつけて追い払ったという話が各所に引用されている。ところが、出典がどこにも書いてないんだよねえ。

 宇多天皇の時代(平安時代)に、と書かれていたからって、記録されてる本が江戸時代のだったりしたら、後世に作られた新しい伝説かもしれないわけだし。

 というわけで、よくわかりませんでしたー。



 そうだ、単純に音がする、というだけじゃなく、予想もしない瞬間にはぜることも重要なんじゃないのかな。単に音をさせればいいなら、浅草寺のお坊さんがやってるみたに物をたたけばいいはず。

 昔話に「さとりの怪」というのがあって、人の心を読む化け物が出てくるんだけれど、桶屋だか籠作りの職人だかが、しならせた竹をうっかりはなして化け物にぶつけてしまう。化け物は「人間とは恐ろしいものだ。心で思っていないことを平気でする」といって逃げて行くんです。

 また、「猿蟹合戦」で囲炉裏に隠れていた栗の活躍も忘れてはいけないでしょう。あるいは隠れてなんかいなかったのかもしれないです。囲炉裏に転がっていたら、猿が帰ってきて火をおこしたので、熱くなって皮がはぜ、弾みで猿の顔に当たっただけなのかもしれないのです。

 どちらも、想像していなかったアクシデントなのでダメージが大きく、人知を越えた存在にも効き目があるんじゃないでしょうか。