ネタ袋

不思議なことや、勉強になりそうな事を書きとめておくブログで、かつては日常の記録としても使われていたことがありますが、これからは不思議な話等をごくごくたまーに更新するかもしれません。

聖者入門〜これであなたも聖者になれる、かも

 電脳山賊ってところから奇跡についてのトラックバックをもらいました。
 哲学的な文章が難しくて読んでて知恵熱出そうでしたが、要するに「奇跡というのはすげーウソっぽい話じゃなきゃいけない。いわゆる奇跡的なナントカっていうのは本当の奇跡じゃないぜ」という話だと思う…んだけど自身なし。

 そもそもなぜ奇跡の話なんかしてるかっていうと、聖者になるには奇跡の顕現がなくてはならない、という話が発端です。聖者(聖人)と呼ばれる人たちは、カトリックではバチカン法王庁がさまざまな調査をして認定するもので、その条件はこんな感じ。

  • 故人であること。生きて聖者にはなれない。
  • キリスト教徒として模範的かつ英雄的でなくてはならない。
  • ふたつ以上の奇跡の顕現があること。

 簡単に書くとこうですが、もうちょっと詳しく調べてみました。
 まず、聖者になりたい人はキリスト教徒になってください。そんでもって良いことをたくさんして、人々に頼られたりしてください。さらに、人々の祈りを神様に取り次ぐような仕事をしてください。ひらたくいうと修道士とか神父とか、そういう人になりましょう。んでもって、奇跡です。常識では考えられないようなことを神様に手伝ってもらって沢山起こしてください。それから適当な時期にお亡くなりになってください。生きてると聖者になれません。

 次に、あなたをよく知っている人が教皇庁列聖省ってところにあなたを聖者候補として推薦しなくてはなりません。推薦者はものすごいお金持ちか、さもなければ人望があって寄付をつのるといくらでも集まるような人でなくてはなりません。理由はあとで述べますが聖者になるにはお金がかかります。

 さて、列聖省はあなたが聖者にふさわしいかどうか調べますが、この調査が開始されるのはあなたの死後5年以上たってからと決められています。調査が開始されると、あなたが生前に書いたもの、話したこと(録音・録画資料)などを、徹底的に調べます。それから、あなたが生きて暮らしていた場所へ行って、人々があなたのことを知っているかなど、細かく調べます。お墓を開いて遺体がどうなっているかも調べます。死蝋化してたりするとかなり良い感じです。これらの調査費用はすべて推薦者の負担になります。ここでつまづくと聖者になれませんので頑張ってお金を集めてもらってください。

 これらの調査が済むと、あなたに「尊者」という称号があたえられます。まだ聖者ではありません。あわてずに先に進みましょう。

 次に、あなたが奇跡を起こしたかどうか調べます。あくまで「神様が起こした超自然的現象」でなくてはなりません。これがひとつでもあれば、あなたは「福者」と呼ばれるようになるでしょう。

 さてさて、ここまできてやっと聖者に手がとどきそうになりました。聖者は福者の中から選ばれることになっています。聖者になるためには、さらに厳しい調査が繰り返されます。福者の場合は限られた教区のために尽くした人でもオッケーですが、聖者ともなると世界的に有名だったりするとより選ばれやすくなるみたいです。それから奇跡。福者に選ばれた時のとは別の奇跡も認められなくてはなりません。

 現在ではもう廃止されていますが、昔は「悪魔の代弁」というのもやらなきゃいけなかったらしいです。これは、悪魔の代弁者として指名された人が、故人のアラをさがして徹底的に非難します。それでもなお偉大であることが認められると聖者として認められました。これは1983年に廃止されたそうです(参考>このへん)。

 これらの条件をすべて満たすと晴れて聖者の仲間入り。かなり綿密で厳しい調査をするので、聖者の前段階である福者になるまでに100年くらいかかっちゃうことが多いんだそうです。ところがヨハネ・パウロ二世はけっこう頑張っていろんな人を福者や聖者に認定してまして、たとえばマザー・テレサですが、1997年に亡くなりましたが、2003年の10月に列福されました(つまり福者になりました)。彼女の場合は、死後5年という規定を免除して福者に列するための調査がはじめられたので、このスピードで列福されたってことらしいです。

 ここまで、かなりおちゃらけて書いちゃいましたが、ちゃんと信仰のある人の文章を読みたい人はこのへんをどうぞ

 ところで、問題は「奇跡」ですよね。
 一体どんなものを奇跡としてるかですが、たとえば死体が腐らず、しかもミイラのように乾燥したりもせず、生きている時と同じ姿のまま保たれていたりする、つまり死蝋化してたりすると奇跡として認定されます。フランシスコ・ザビエルなんかがこれにあたります。
 また、その人の祈りで病気が治ったとかいうのも奇跡にあたるそうです。治りそうもない腫瘍が祈りによって急に消えてしまったとか、そういうやつです。
 マザー・テレサの場合はかなり特殊で、彼女の死後に奇跡がおこりました。あるインド人女性は胃にできた潰瘍に苦しんでいましたが、マザー・テレサが生前に触れたことのあるメダルを手にして祈りを捧げたところ、潰瘍がきれいに治ってしまったそうです。これが奇跡として認められて列福されました。
 こうして見ると、奇跡といってもそれほどものすごいことではなさそうです。死蝋化死体はキリスト教徒にのみ見られるわけじゃありませんし、祈りで病気が治るのだって、本人の気持ちの持ちようである可能性もあります。奇跡的な出来事と、奇跡の境目はかぎりなく微妙で、本当の奇跡というのは「神様が起こしたもの」でなくてはなりません。そのどちらかを見極めるのは、あくまで教皇庁列聖省の人たちだそうです。そういう意味では奇跡はバチカンで作られます。

 最後に用語について。聖人よりも聖者という言葉のほうが通りがいいので使いましたが、正式なキリスト教用語では「聖人」が正しいかもしれません。キリスト教の時は「聖者:せいじゃ」「聖人:せいじん」と読みます。
 読み方を「しょうじゃ」「しょうじん」にすると、そのまま仏教用語になったりするみたいです。saint の訳語に仏教用語をあてて読み方を変えたんじゃないかと思います(想像)。