見えないけれど感じる話
稲川淳二の冬の怪談にトラックバックが続々と… 集まってないのね。うち以外のトラックバックは体験談じゃないみたい。恐い体験のひとつやふたつ誰しもありそうなのにね。まあ、始まったばかりだから。週末に取り組もうって人もいるだろうし。
昨日は「普段から霊が見えるということはない」と書きましたが、感じる程度ならわりとよくあります。あくまで感じるだけ。気配があるなぁって程度なのでそれを霊と呼んでいいかすらわからない。稲川さんが霊というのは磁場なのだと言ってたけど、それはとても納得できる話。何かの理由で通常と違う磁場が発生してるのを感じているのかも。その「異常な磁場」ってのが、なぜ発生してるかはケースバイケースだし、ひょっとしたら霊の存在と関係してるかもしれないし、してないかもしれない。
磁場の感じ方も人それぞれ、得意不得意があるみたいです。私の場合だと、死んだ誰それさんの霊みたいなのは見えないし、ほとんど感じないです(よっぽど親しい人なら別ですが)。どちらかというと善悪の観念の薄い自然霊みたいなものにアンテナが立っちゃうみたいなんです。
たとえば、西新井大師なんか行くと、本殿っていうんですか、中心にある一番大きな建物。あそこには何も感じません。ところが裏手のお地蔵さんがたくさんあるところにビビビっと来るのですよねえ。まあ、立派な本殿より苔むしたお地蔵さんのほうが不気味に見えるのはあたりまえの話です。気のせいだと言われればそうなのかもしれない。自分でも確信があるわけじゃないから。でも、お地蔵さんのある場所をキモチワルイと感じるわけじゃあないんですよ。その場所が生きてる、動いてる、活動してると感じるんです。だから好き。
将門の首塚もけっこー好きです。祟りの噂がよくありますよね。でもそういう恐いのと違うような気がする。毛穴が開くような感覚はあるけど恐くはないです。いわゆるパワースポットってやつなのかもしれない。だから動かせないんです。昔あそこは神田明神の境内だったんですよね。明神様を移転するときに首塚も動かそうとしたけど祟りがあってできなかったんでしたっけ。それ、祟りは関係ないですよ。パワースポットは土地付きのものだから「動かしても意味がない」んだと思う。
祟りっていうと、恨みや怒りを動機にして人に危害を加える感じでしょ。そういうんじゃなくて、首塚の場合は単に力が強いせいで、その場にいると酔ってしまうんじゃないかしら。酒を飲んでお風呂に入ったら心臓麻痺を起こして死にましたーみたいな。薬も飲み過ぎれば毒になるように、強すぎる力で一時的に体調を崩して普段なら思いもよらない病気で死んじゃうとかならすごくありそう。事故死する人なんかも力のせいで注意力が散漫になるからだと思うのよ。あそこの力にはそのくらいの「量」を感じる。首塚に対してなんら悪意を持っていなくても力に酔っておかしくなる人がいるはず。そういう意味では恐いから近づかないほうがいいかもしれない。そのくらい強いです。首塚へ行くと頭の毛根がジワジワいうもの。
高尾山なんかも面白かった。だいぶ観光地化されてるけど、今もまだ修験道の聖地としてちゃんと使える場所だと思う。そういう力を感じます。首塚ほど危険じゃない気がするからそういうの感じてみたい人は高尾山がおすすめね。
…と、こんな話でいいならいくらでも書けそう。あまりにも客観性のない話なので普段はしないだけ。恐い話ってのとは違うけど賑やかしにトラックバックしとこ。