江戸名所図会より抜き書き・その2
立石
立石村護法山南蔵院といへる真言宗の寺境にあり。地上へ顕れたる所わずかに壱尺ばかりなり。土人相伝へて、石根地中に入る事その際りをしらずといへり、石質弱にしてその色世間に称する鞍馬石に似たり。この石寒気を帯ぶればこゝかしこ欠け損ず。されども春暖の気を得る時は又元の如しと云へり。古はこの石によりて近郷四五箇村の名とせしが、分郷となりしより後はこの村のみいを立石とよべりとぞ。
# 立石は現存している。残念ながら冬にかけ損じて春に大きくなるというような怪現象は見られない。
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熊野権現祠
同境内艮の隅にあり。今旧地を失ふ故に、鎮座の年歴等を詳にせずといふ。神体は一箇の霊石にして(長二尺八寸ばかり囲み本にて二尺ばかり、末にて六寸あまり、その形傘をつぼめたるがごとし。)その余武州練馬の石神井村石神井社、及び多摩郡阿佐が谷神明等の神体の霊石、何れもその形相似たり。
按ずるに、神書に、皇孫の降り給ふ時、諸部の神の佩かせる頭槌剣などといへる事あり。この類ひのものならん。尤も天工のものにして、世に石剣と称するものこれなり。
# この御神体は公開こそされていないが現存するらしい。葛飾区の郷土史に関する本で写真も見たような気がする。石剣というより大砲の弾のような形をした石柱だったように思うけれどうろ覚え。