ネタ袋

不思議なことや、勉強になりそうな事を書きとめておくブログで、かつては日常の記録としても使われていたことがありますが、これからは不思議な話等をごくごくたまーに更新するかもしれません。

31日は坂田晃一のレクチャーを聞きに行った

 天気は曇り。東京の最高気温は……えっ、24度?! そんなに低かったなんて思えないくらい不快でしたよ。湿度が 68% もあったせいですね。福島や新潟で豪雨だったようですが、東京はほとんど雨が降りませんでした。

坂田晃一

 前に、宇野成一郎という作曲家が大好きだって話は書いたような気がするんですが、坂田晃一も大好きなんですよー。アニメ『母をたずねて三千里』の音楽をやった人です。『さよならをするために』の作曲もこの人です。コクリコ坂からのエンディングに採用された『さよならの夏』もそう。ドラマ『おしん』『雲のじゅうたん』『女太閤記』『池中玄太80キロ』なんかの音楽もこの人です。もうね、雲のじゅうたんなんか、みふぁそーらそみーれどー↑どーーどしらそーふぁみーれどれーっていうメロディーを歌詞さえついてないのに何度も何度も口ずさんだりハーモニカで吹いたりしてましたよ。NHK学校音楽コンクールの課題曲だったことがある『光の中へ さあ君と』なんかもこの人です。

 で、その坂田晃一大先生が、文京区のシビックセンター多目的室でレクチャーなさると聞いてすっとんで行きました。一体どんなお話をきけるのか?!

 ところがですね、先生はおしゃべりがあんまり上手じゃなくて、これからが核心部分だぜってところで持ち時間終了でした。でも、わたしはナマ坂田晃一が見られたので満足です。コクリコ坂のおかげで人前に出ることが増えてるかもしれないけれど、そうでもなかったらドラマの音楽をやる人はわりと裏方で、そうそう表に出てこないですからね。貴重な体験でした。

 坂田晃一はもっと注目されてよい作曲家だと思います。曲と名前が一致していないだけで、意外とみんな知ってる人なんです。

[追記]

 日記なので聞きに行ったという話だけ書いてしまったんですが、ちょっと反省して世間に知らしめるべき内容をメモしておきます。

  • 『さよならをするために』はドラマの主題歌で、作詞は石坂浩二。曲先で作られたもの。石坂の詞は二番が先にできており、一番はレコーディングの当日朝まででき上がっていなかった。当時はファックスなどないので、スタジオ(しかもレコーディングスタジオじゃなくてテレビ局だったとかチラッと)に慌てて持ち込まれたものを、プロデューサーだかディレクターだかと一緒に「これじゃ曲にのらない。歌いにくい」とずいぶん直したとのこと。曲先詞後なのでメロディーの上がり下がりと言葉のイントネーションが一致しない点が多すぎて、坂田先生はいまいち気に入らないようです。
  • 『もしもピアノが弾けたなら』は、詞の内容からイメージをふくらませて作りたいと思い、阿久悠先生に詞を書いてもらったとのことです。石坂浩二は同年代なので呼び捨てでしたが、阿久悠は先生かさんをつけて呼んでらっしゃいました。「もしも」のところは誰がどう作っても同じになるだろうと言うくらい当たり前のメロディーなので「ピアノが」のところはわざと高低を崩して印象づけるように作ったそうです。
    • 基本は言葉そのもののイントネーションと同じような上がり下がりでメロディーを作るのですが、たとえば「ピアノが」という言葉にはイントネーションの違う同音異義語がないので、積極的に崩してもよいパターンだとおっしゃってました。でも「雨」と「飴」は同じ発音だけどイントネーション(というか高低のアクセント)の違いで意味が変わるので、そういうのは極力メロディーもイントネーションにあわせるということです。
    • 70年くらいから日本では曲先で歌謡曲を作るようになって、それからだんだん歌がダメになってるとも。*1
  • 昔はドラマやアニメで音楽をやると主題歌も作らせてもらえたが、だんだんにレコード会社とのタイアップばかりになって、番組内容と関係のない曲を主題歌として採用するようになってしまった。
    • 昔から歌謡曲は売れ線を意識して作られていたが売れっこないけど良い曲を書くチャンスというのもあって、たとえば売れ線のレコードのB面に入れるために作ったり、ドラマのBGMをやる際に主題歌として作ったりしていた。今はCDになってB面がなくなってしまたのと、ドラマはタイアップになってBGMをやっても主題歌まで作らせてもらえなくなった。
  • NHKですら視聴率や儲けばかり考えて、子供番組の製作者までもが童謡を作るのに売れ線のメロディーがほしいと言ってくる。
  • 宮崎駿監督は、ずいぶん昔から『コクリコ坂から』の構想を練っていて、もしアニメ化することがあったら『さよならの夏』を使いたいということ、また坂田晃一の編曲そのままで使いたいと言ってたそうです。でも実際には息子の宮崎吾朗が監督をやることになったので、父親のアイデアをそのまま使うことを避けて、別の人の編曲になったとか。人がかわるとこんなにも違う曲になるってことですね、と言いながら両方のCDを実際に聞かせてくれました。決して悪くはいってなかったけれど、自分の編曲でないことについてはやや残念そうにも見えました。
    • 宮崎駿の作品に久石譲が音楽をつけてることに関して、「監督に音楽はどうしますかとたずねると、久石さんでいいんじゃないのという答えが帰ってくると聞いた。久石さんしか知らないからというのが理由だとも」と話してました。どこ情報かは言ってませんでしたけど。
  • 坂田晃一山本直純の弟子だそうです。山本直純先生に師事してなかったら作曲家をやってないかもしれないとのこと。


 というようなお話をしてました。その場でメモしたわけじゃないので、あくまで記憶に基づく箇条書きです。ニュアンスが違ってたらごめんなさい。

意外と思い通りにならない iPhone用の三脚

 坂田先生のレクチャーを聞いたあと、有楽町のビックカメラiPhone用の三脚を物色。カメラと違って三脚を固定する穴がないのであまりパッとしたものがないんですね。特にわたしの iPhone にはキーボード付きのケースをつけてあるので、iPhone専用品がかえって使えなかったりします。仕方ないので改造して使おうと思い、携帯電話用のものを買いました。

*1:わたし(珍獣)は曲先だからダメなんじゃなくて不特定多数が歌うことを意識しないで曲作ってるヤツばかりになったのが原因だと思ってます。