ネタ袋

不思議なことや、勉強になりそうな事を書きとめておくブログで、かつては日常の記録としても使われていたことがありますが、これからは不思議な話等をごくごくたまーに更新するかもしれません。

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『珍獣の食卓』

 珍獣様の食卓だから珍獣の食卓。珍獣を食べちゃう話ではないんです。ちょっと珍しいお野菜の紹介です。上のリンクから作品を閲覧してください、気に入ったら購入予約をかけてくださいね。300人の予約が集まったら本になって書店にならびます。

私はここにいるとそこで答えよ!

 さて今日も稲川淳二の冬の怪談ですが、次第に「怪談」のトラックバックが増えてます。お父さんの最後のいたずらというお話など愉快なのに泣かせますね。やっと開いた金庫の話…そして、その中に入っていたのは…ぶるぶる。それから「イギリスの幽霊」という話。

 幽霊が人をタクシー代わりに使ってるってのは愉快ですよねえ。大英博物館のミイラってことはエジプト人ですかねえ。古代エジプトではあの世でも快適に暮らせるようにいろいろ手を尽くして準備したらしいですから、ミイラもそのくらい楽天的で行動的なのかも。

 なんでも古代エジプト人はあの世に行っても畑を耕したりして暮らさなきゃいけないんですと。死んでまで働きたくないからお金持ってる人たちはウシェブティ(答える者という意味)という人形をたくさん作ってお墓に入れてもらうんです。「私があーいう仕事やこーいう仕事をしなきゃならない時、お前に仕事をいいつけるから、私が呼んだら"ここにおります"と答えなさい」という呪文を書き込んであって、命令すると代わりに働いてくれます。いわゆるロボットですよ。あの世では自分のかわりにウシェブティを働かせて楽をするんです。でも、お金がなくて人形を用意できない人はあの世でも苦労して働かなきゃいけないらしいのね。

 ミイラの人たちは墓から引っ張り出されてイギリスまで連れてこられちゃったわけだし、愛用のウシェブティたちと引き離されてしまってるかも。召使いがいなくなったら買い物も自分でしなきゃいけませんから、そりゃ通りがかる人をタクシー代わりに使いたくもなりますわなあ。

死んでも気配は残るのかな?

 で、今日も怪談を。っていつもぜんぜん恐くはないんですけどね。
 飼っていた犬が死んでしまい、庭に犬小屋が残りました。すぐには片づけられないので放置しておいたら、夜になると物音がします。
 木の壁に体がこすれる音。鎖があたる音。
 そんなふうに聞こえる物音です。犬が生きていた時にいつも聞こえていた音です。
 外へ出て確かめたわけじゃありませんから別の音がそう聞こえるのかもしれません。ただなんとなく「コロはまだ犬小屋にいるのかもしれないなあ」と考えました。
 間もなく犬小屋は片づけられて、物音もしなくなりました。結局なんの音だったかはわかりません。気のせいだといえば、そうかもしれない。でも、死んでも気配は残るのかもしれないと感じる出来事でした。
 ところで、私は猫を飼ってたこともあるのですが、その猫が大病を患って五年ほど前に死んでしまいました。
 玄関の近くに水や食べ物の皿があって、生きていた時はそこで飲んだり食べたりする音がよく聞こえてました。
 死んでしまってからは、食べ物の皿は下げてしまいましたけど、水だけはしばらく出しておきました。喉の渇く病気だったみたいで、しょっちゅう水を飲んでましたから、さまよい出てきて水がないと困ると思ったのです。
 すると案の定、静かになると聞こえてきます。
 ぺちゃぺちゃぺちゃぺちゃ…
 猫が水をなめる音です。
 ああ、いるんだな、やっぱりまだいるんだな。
 そう思いました。
 それと同時に夢を見るようになりました。昼なのに薄暗い町。人通りもまったくない町。そこに川が流れてる。たいして大きな川ではありません。昔は用水路として使われていたような幅五メートルくらいの川です。
 私は川ぞいを歩いています。いなくなった猫を探しているのです。
 そういう夢を毎日見ました。
 ある時は大きな建物の中で、猫の入った籠をたくさん見ましたが、そこには自分の猫はいませんでした。
 川の中で沢山の猫が泥まみれになってもがいている日もありました。私は川に入って猫を一匹ずつひっぱり上げましたが、その中に自分の猫はいませんでした。
 とにかく、そんな夢を毎日見て、ある日別の夢を見ました。
 私は空を飛んでいて、右手と左手には山、下には美しい谷があります。
 前方に白くて丸い光が見えました。私はそこに向かって飛んでいきましたが、光の中に吸い込まれそうになった時に目が覚めました。
 カレンダーを見ると、猫が死んでからちょうど七日目でした。初七日ってただの習慣じゃなく意味があるのかな、と思いました。
 初七日だけじゃありません。お盆やお彼岸にもなぜか猫の出てくる夢を見ました。久しぶりに猫の出てくる夢を見て、ふとカレンダーを見ると、お彼岸が近かったりします。お盆やお彼岸に法要をするのも何か根拠があるのかもしれません。
 夢と同時に気配も感じます。たとえば窓のほうで猫の気配がして、私は別の猫も飼ってますから、てっきり生きてるヤツが餌でもねだりに来たかと思うわけです。そこで名前をよぶと、そいつは全く別の方向から顔を出す。そういうことがお盆とお彼岸の前後にふえます。
 その現象は別の家に引っ越してからも続きました。猫は家につくというから引っ越したらついてこられないかと思いましたがそうでもないみたいです。
 ただ、引っ越し後に見た夢は「おたくの猫でしょ」と、見知らぬ青年が猫を連れてくる夢だったので、霊も道に迷うことがあるのかもしれませんけどね。
 さすがに五年以上たってますから、そろそろ気配を感じなくなってきました。今年はまだ死んだ猫の夢を見ていません。


夢