ネタ袋

不思議なことや、勉強になりそうな事を書きとめておくブログで、かつては日常の記録としても使われていたことがありますが、これからは不思議な話等をごくごくたまーに更新するかもしれません。

はてなブログに引っ越してきました

 はてなダイヤリーが2019年2月いっぱいで終わるそうで、しかたがないのではてなブログに引っ越してきました。引っ越してみたはいいんですが、たとえばこの記事なんかは常にトップに表示されるよう西暦3000年とかの日付にしてあるんですけど、引っ越したついでに直したいなあ(削除するんじゃなく今日の日付とかにしてとっときたい)なんてことを思うんですが、日付の変更をどこでやったらいいのかもよくわからないんです。覚える気もないのでどなた様も教えてくださろうなんて気を起こさないでくださいね(笑)

 そういうわけで、今後もあまり更新しないと思いますが、よろしくお願いします。



↓これとか震災直後のままほったらかしてました。まあ、節電は今もしてますけど。

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オーロラUFO墜落事件

 1897年4月17日早朝、テキサス州のダラスから70Km、フォートワースから40Kmほど離れた小さな町オーロラに、謎の飛行物体が現れた。それは葉巻き型で町の風車に激突して大破した。しかしその事件が世間に知られるようになったのは1973年に、ある新聞が昔の不思議な事件として記事を掲載してからの事だ。

◇ ◆ ◇

 1897年4月17日早朝6時、オーロラの町の上空に飛行船が現れる。それはゆっくりと低空飛行を続け、故障しているように見えた。やがて飛行船はプロクター判事の家の風車に激突して大破。破片が50m四方に飛び散った。

 乗員は操縦士ひとりだった。遺体の損傷が激しいもののほぼ全身が回収された。それはこの世の者とは思えぬ姿だったという。

 オーロラで米軍通信機関に勤め、天文学の権威でもあるT.J.ウィームスが操縦士の遺体を火星人であると断定する。

 操縦士は航海日誌とおぼしき書類を身に付けており、ヒエログリフのような未知の文字で書かれていて解読できなかった。

 飛行船は大破し構造はわからない。材質はアルミと銀の合金のような未知の金属だった。全体の重さは数トンと見られる。

 なお、操縦士の葬儀は町で執り行われたという。

 後に、ジム・マーズとビル・ケースという二人の地元新聞社の記者がこの事件について町の人たちの証言を集めている。

 事件当時15歳だったメアリー・エヴァンスは、家族と一緒にオーロラに住んでいた。両親は墜落が起きた判事の井戸を見に行ったが、彼女は連れていってもらえなかった。両親から飛行船が爆発したと聞いている。操縦士はバラバラになって死んだが、遺骸を集めた村の男たちによれば、それは小男だったという。彼はその日のうちに共同墓地に葬られたそうだ。ただし、そのことをメアリーは最近まで忘れており、1973年の新聞記事を見て思い出す。

 チャーリー・C・スティーブンスは当時10歳にもならない子供だった。父親と牛の放牧に行く途中で葉巻型の光る物体を目撃。物体は非常に遅く、北へ6Kmほど離れたオーロラの町に向かって飛んで行った。爆発音がして、北の空が数分間炎に染まった。翌日父親が馬で町まで見に行くと、事件現場には引きちぎれた金属と黒焦げの破片が大量にあったという。チャーリーの父の話には操縦士の話題がなく、墜落当日に埋葬されたというメアリーの証言と一致する。

 一方で、何も覚えていないと証言する者もいる。ロビー・レイノルズ・ハドソンは、墜落事件当時12歳で、オーロラの町外れに家族とともに暮らしていたが、飛行船墜落の話はよそから馬に乗って来た男から聞くまで知らなかった。

 事件から48年後の1945年、墜落現場であるプロクター判事の土地をブローリー・オーツとエッタ・オーツという夫婦が買い取り、そこで4年間くらした。夫人は証言する。「畑の中に宇宙船が衝突したらしい場所があり、そこには草一本生えませんでした」

 オーロラを離れてからもオーツ一家は嚢胞や甲状腺腫に悩まされていた。夫人は墜落現場にあった古井戸の水を飲んだせいだと考えている。井戸は放射能で汚染されていると、あらかじめ聞かされていたそうだ。そのような井戸水をなぜ飲んでしまったのだろうか。

 ノース・テキサス大学の物理学者トム・グレイ博士は墜落現場で発見された金属片は、当時の科学では理解しかねる物質であると表明。それは地上に叩きつけられたかのように溶解しており、主成分が鉄であるにもかかわらず、全く磁性を示さなかった。

 記者のマーズとケースは操縦士の墓にも訪れている。それは町の共同墓地にあり、非常に小さく子供の墓のようだったという。墓石は半分破損しており、自然石のようなものを笠石としてのせてあった。かろうじて残っている墓碑には、V字が刻まれており、Vの中に小さな円が三つ刻まれていた。このような形をした墓は共同墓地内には他になかった。また、墓に金属探知器をあてると、大きな金属片が三つは入っていることがわかった。

 彼らは操縦士の墓を掘り起こそうと法的な手続きにとりかかったが、オーロラの住人に反対された。そのせいでしばらくの間、墓地は武装した保安官に見張られていたという。

 警備がとかれたとたん、墓の笠石が盗まれてしまった。墓には穴が三つあいており、金属探知器をあてると以前のような反応がなかった。中に金属があることを知っているのは、ケース記者によれば政府だけとのこと。

 教員をしていたマーズ記者の妻が、警官の息子であるジェームズ・アイデルからあることを打ち明けられる。ジェームズの祖父が操縦士の埋葬を手伝ったというのだ。彼が祖父から聞いた話では、操縦士は身長は約 90Cm くらい。頭が大きく、まさに宇宙人だったという。

 警官であるジェームズの父親もまた思わせぶりな証言をしている。墓の笠石を盗んだ者を知っているが、職務上の秘密で話せないというのだ。

 墓地をあばかれてしまった今、墜落した飛行船が宇宙から来たものだと証明する手段もなく、都市伝説のひとつとして語られるのみだ。

◇ ◆ ◇

 UFOで思い出したので、箇条書きだった過去記事をまとめなおしてみました。『宇宙人UFO大事典―深〈地球史〉』という本からの抜き書きで、本の著者はオーロラで墓の調査をしようとしたジム・マーズ本人です。この人はアメリカでは有名らしく、英語版のウィキペディアにも名前があります。アメリカ版の矢追純一みたいな感じでしょうか。そういえば墓を掘り返そうとしたあたりから政府の陰謀論みたいになって話が少しあやしいです。マーズは2017年に心臓発作で亡くなったとのこと。

ウェストオールUFO事件

 1966年4月6日午前11時ごろ、オーストラリア・メルボルン郊外に乗用車ほどの大きさの銀色の円盤が上空を飛んでいるのをウェストオール高校の教師と生徒350人以上が目撃した。

 アンドリュー・グリーンウッド氏は高校の教師だった。彼がウェストオール高校で体育の授業をしていると、生徒がひどく興奮した様子で空飛ぶ円盤が見えると繰り返す。

 グリーンウッド氏が生徒が指さす方角を見ると、校庭の北東、電線の近くに何かが浮かんでいるのが見えた。

 それは円く、ある者は銀色といい、またある者はうっすら紫色だったと言う。皿のような形で、自動車くらいの大きさだった。またその物体のてっぺんからは金属製の杖のようなものが突き出していたと証言する者もいる。

 グリーンウッド氏が地元の新聞社に語ったところによれば、空飛ぶ円盤は降下して、校庭の南西の隅を横切って南東方向に飛んで行、農場の木々に隠れてしまった。

 その間約20分。学校の授業中とあって、目撃者は200人に達した。ある者は円盤が 1機だったといい、ある者は3機だったとも言っている。

 また、円盤が停泊していると、どこからか5機の未確認飛行物体が現れて、円盤を追いかけはじめた。それは目まぐるしく、衝突しないのが不思議なくらいだったが、やがてすべての飛行物体が飛び去ったと言われている。

◇ ◆ ◇

 ありがちなUFO事件かもしれないけれど、場所が学校で、大勢が目撃している事が印象に残ります。たしか情報ソースは英語版のウィキペディアだったと思います。

ウールピットの緑の子供たち

 12世紀頃、イギリスはサフォーク州ウールピット。

 ある時、地元の者が狼の落とし穴の様子を見に行くと、穴の中に子供が2人落ちていた。慌てて助けあげると、子供たちは緑色の皮膚に覆われ、何語かもわからない言葉で話した。2人は姉と弟で、着ている服もこのあたりでは見た事もないようなものだった。

 子供たちは地元の者にひきとられるが、なかなか食事をとろうとせず、生の空豆だけを喜んで食べた。それでもやがて普通の食事をとるようになり、そのうち皮膚も普通の色になったという。

 その後、弟は病気で死んでしまうが、姉は英語を覚え、自分たちの身の上を語り始めた。姉弟はセントマーティンという所からやってきた。そこでに住む人たちはみな、全身がの皮膚が緑色だった。セントマーティンには太陽の光がとどかず、いつも黄昏時のような薄明かりに照らされていた。そこからどうしてイギリスに迷い込んだかは、どうしても思い出せないという。

 やがて姉は大人になり、さる屋敷に使用人として奉公し、セントマーティンに帰ることなく一生を終えたという。

◇ ◆ ◇

 これもここ数年でみつけた不思議で気に入っている話です。機械翻訳で英語のサイトをいくつか読んでまとめました。なんのきっかけで見つけたのかはもう忘れました。参考にした英語のサイトも覚えてないです。今 Woolpit で検索したら英語のウィキペディアにもありました。
en.wikipedia.org

 ウィキペディアによると、この話は12世紀から13世紀に書かれた「Historia rerum Anglicarum」や「Chronicum Anglicanum」といった、イングランドの歴史について書かれた本に出てくるそうです。当時の民話であるか、歴史的出来事の誤った説明だと書かれています。