ネタ袋

不思議なことや、勉強になりそうな事を書きとめておくブログで、かつては日常の記録としても使われていたことがありますが、これからは不思議な話等をごくごくたまーに更新するかもしれません。

2014年02月01日のツイート

メモ

 ふしぎ発見の古い録画を消化している。これはリアルタイムでも見て面白いと思った話。消去する前にメモしておく。

 信長の家臣に、ヤスケという名前の黒人がいた。ポルトガル人の宣教師が連れてきた男で、背が高く、力も強く、日本語を話したという。信長はこの黒人を気に入り、いずれは殿にしようとすら考えていたともいう。一説によれば本能寺の変で信長の最後をみとったヤスケは、信長の首を持って逃げたという。その首からデスマスク(御霊と呼ばれている)が作られ、愛知県瀬戸市の西山自然歴史博物館で今でも保存されている。

 ヤスケを日本に連れてきた宣教師の足取りを調べると、アフリカではモザンビーク島にのみ立ちよっているため、ヤスケはモザンビーク人だったと考えられている。当時、ポルトガル人は、マクアという部族のみを認識しており、ヤスケもマクアの出身だった可能性が高い。マクア族の男の名前にはヤスフェというのがあり、今でも村に数十人のヤスフェがいるという。ヤスケという名前と関係があるかもしれない。また、この村では布を体にまきつけた民族衣装のことをキマウというそうである。ヤスケが生きてモザンビークに帰り着き、日本の着物を伝えたのではないかとも考えられるそうだ。
http://www.tbs.co.jp/f-hakken/bknm/20130608/p_1.html