15日の日記
ブログ更新
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昨日書くのを忘れてましたが SL C6120 復活号の写真です。この記事から連続して4記事あります。画面の下のほうに次の記事へ行くリンクもありますのでどうぞー。
天気と天体
曇り。夜は月が出ていたので晴れたみたい。日付が変わった朝方に皆既月食がある予定だったけれど寝ちゃって起きられませんでした。これを書いてる16日朝は曇ってるんだけど、月食の時間帯はどうだったんでしょう。次の月食は12月10日だそうです。
本
先日読んだ熊井明子の『「赤毛のアン」の人生ノート』にアンとポリアンナの比較があったので『少女ポリアンナ』を図書館で借りてきた。大昔に抄訳版くらいは読んだ事があったかもしれないし、名作劇場のアニメは飛び飛びで見てたかもしれない。なんにせよあまり興味がなかったことは確か。
改めて読んでみると、つまらなくはないし、いい話なんだけれど、深みはあんまりないなあなどと思う。牧師だった亡き父親の教えで、どんな悪い状況でも喜びをみつけるゲームを始める。アニメでは「よかった探し」と呼ばれていたやつである。人形がほしかったのに松葉杖をもらったら「わたしは今この杖を使わずに済むんだからほんとうによかったわ」などと喜ぶのである。
ポリアンナはとにかくありとあらゆることに喜びを探して行く。普通の人ならばうんざりして暗い気持ちになることまで発想の転換でいいことに変えてしまう。そこはすごい。
でも、熊井明子が言うように現状を受け入れてるだけ、というのは確かにそのとおりだと思う。こうしたらもっと素敵になるわ、というアンのような自由な想像力(というか創造力)には欠けるというのはごもっともと言える。そもそもポリアンナは極端なポジティブシンキングのみを読者に提案しているので話に変化がないわけで、アンと比べたらどうしたってストーリーは退屈かなと思う。
ポリアンナストーリーの最大の盛り上がりは、ポリアンナ自身が不幸のどん底に落ちる時である。交通事故で下半身マヒになってしまうのだ。
あれほど他人にはよかった探しを教えながら、自分が不幸のどん底に落ちると幸せを探せなくなる。一生直らない病人までポジティブにしておきながら、自分の場合はそれとは違うと言い始めるのである。大人にもこんな人は大勢いるので11歳の子供ならばごくごく自然なことだと思う。ポリアンナよ、オマエの力はそれまでか。
しかし、すごいのはここからで、ポリアンナによかった探しを教えられた町の人たちが、ポリアンナを喜ばせようと必死に幸せになってみせるのだ。きっとみんな、ポリアンナのポジティブさにふりまわされ「理屈ではそうかもしれんが、実際そんな能天気なことじゃ何も解決しないさ」とあきらめていた人たちが、ポリアンナが歩けなくなり、遊びにこなくなったのをきっかけに自分を変えようとしはじめる。
結局この話のすごいところは風変わりで元気のいい女の子を愛した街の人たちだったのかも知れない。ただ、残念なことに原作ではポリアンナの苦悩や立ち直りがそれほど描かれてないので、なんとなくさらっと読めちゃう感じ。
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