砂漠の囚われ人マリカ
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この本の著者であり主人公のマリカ・ウフキルは、現在も存命でフランスで暮らしている。この本を書いたのが1999年。その時彼女は46歳だった。決して昔の人ではない。彼女の体験はまるで中世のおとぎ話でも聞いているかのようだが、二十世紀の後半に起こったまぎれもない事実である。
マリカ・ウフキルは1953年、モロッコで生まれた。父親が当時の国王ムハンマド5世のもとで要職についていた。マリカ5歳の時、ムハンマド5世の養女に迎えられ、ラッラ・ミーナ王女の遊び相手として王宮で暮らすようになる。この時以来16歳になるまで家に帰ることを許されなかった。時折面会にくる母親だけが家族とのつながりだった。
ムハンマド5世が崩御しその弟であるハッサン2世が即位してからも、マリカはラッラ・ミーナ王女とともに王宮でくらしていたが16歳の頃に家に帰ることを許される。それから数年、マリカは家族との生活を満喫するが、父親のウフキル将軍が国王暗殺を企て、それが失敗したことで転落。ウフキル将軍は射殺され(自殺と発表される)、家族は砂漠の収容所に15年間も監禁された。監禁生活で心のささえとなったのは、家から持ってくることができたラジオでフランスの放送を聞くことだった。
しかし、長い監禁生活で一家は疲れ果て、母親、弟、妹が自殺をはかるが失敗する。この時、心の支えだったラジオを取り上げられてしまう。もはや脱獄しかないと決意し、床のタイルをはずし、素手で土を掘って外界とつなげ、ついにはマリカと妹、ふたりの弟が外に出る事に成功、やっとの思いで町にたどり着き、ホテルでフランスに国際電話をかけて、収容所で聞いていたラジオ番組に連絡を取る事に成功する。この時マリカは34歳になっていた。
正月のテレビではここまでしか紹介されていなかったが、実際にはここから先がある。マリカたちのことがフランスに知れると、フランス人の弁護士らが援助にかけつけてくれるが、保護されてわけではなく、結局マリカたちはモロッコの警察につかまってしまう。
警察署で収容所に残してきた母親や妹たちと再会する。警察では「なぜ海外に助けを求めたのか。ムハマド5世の墓に許しを乞い、ハッサン2世に慈悲を求めれば聞き入れない王ではないはず」と尋問される。しかし、一家は監禁中に血で署名した嘆願書を国王に送っており、なんの返事もなかったのである。
マリカたちの存在は海外に知れているので、待遇はがらりと改善され、ウフキル将軍のことを知っている警官たちは一家に尊敬の念すら抱いてくれた。すぐにでも釈放されるかと思ったが、なんとそのまま1991年までカサブランカの民家で軟禁生活を強いられるのである。
フランス人の弁護士が王と面会して、一度はカナダに出国できそうになった。けれども突然パスポートを取り上げられて「王様はあなたたちが行ってしまうことに心の準備ができていません。今しばらくお待ちください」なんてことを言われる。
結局4年以上の軟禁生活の末に、突然「あなたたちは自由だ」と言われ、軟禁を解かれた。砂漠に監禁されてから20年たっている。
軟禁を解かれたあともモロッコから出国することはできなかった。ともあれ、モロッコ国内では王に許されたということになり、マリカはラッラ・ミーナ王女とも再会している。王女はマリカとの再会を本当に喜んで、マリカも王女を憎んではいなかった。
1995年、マリカはフランス人男性と恋に落ちる。モロッコでの自由は監視付きであったし、結婚するならフランスに渡りたいと考えるが、それが叶うのは1996年のこと。モロッコ政府は国際的な圧力に屈してマリカとその家族にパスポートを発行した。結局、彼女が本当の自由を手に入れたのは、砂漠で監禁された1972年から数えて24年後である。
モロッコといえば、今では観光立国でイスラム教国でも開けたイメージなんだけれど、1995年などという最近までこんなことが現実に起こっていたなんて驚きにたえない。二十世紀のモロッコ王室や上流階級がどんなだったか知る意味でも貴重な一冊である。
なおモロッコではウフキル一家の監禁を、王の温情だと見る意見もあるらしい。王の命を狙った男の家族となれば、誰に命を狙われるかわからないので、軟禁状態において保護したというのだ。ただ、1999年にハッサン2世も崩御して、ムハンマド6世になってからはモロッコの雑誌にマリカ本人のインタビュー記事が掲載されるなど、タブー視はされていないそうだ。マリカは祖国を恨んではおらず、敵ではなく友としてモロッコに帰りたいと願っている。自伝の出版も自分の人生の精算であり、ハッサン2世を告発する目的ではないと言っている。
マリカとともに育ったラッラ・ミーナ(Lalla Amina)王女は、2005年に長野スペシャルオリンピックスを観戦するために来日している。現在も存命で2011年4月にはローザンヌで乗馬関係の集まりに出席している。王女はマリカと暮らしていた頃も乗馬が大好きだったという。
http://www.mofa.go.jp/mofaj/area/morocco/data.html
2005年3月 ララ・アミナ王女(長野スペシャル・オリンピックス)
http://mimizun.com/log/2ch/kokusai/1086513779/
23 :名無しさん@お腹いっぱい。:05/03/03 21:43:57 id:NxuPl2Qb
★アミナ王女が初めていけばなに挑戦 中京区、華道家元池坊で・来日中のモロッコのララ・アミナ王女(50)が3日、京都市中京区の華道
家元池坊を訪問、いけばなを体験した。王女は、長野市で開催中の知的障害者のスポーツの祭典「第8回
スペシャルオリンピックス冬季世界大会」の開会・閉会式に出席するため、
2月25日に来日した。日本文化に触れたいと28日から京都に滞在している。王女は、池坊京都支部の女性たちが古式に沿った「礼式生け」で、
ひな祭りにちなんだ桃の花などをいけるのを熱心に見学。天野則子
同支部長の指導で、初めていけばなに挑戦した。
華やかなピンク色のガーベラやスイートピー、かすみ草を思い切り良く
いけこみ「少し難しいが、とても楽しかった。モロッコにもバラやさまざまな
野生の花があるので、ぜひいけてみたい」と笑顔で話した。
http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20050303-00000028-kyt-l26
Lausanne (Suisse) - SAR la Princesse Lalla Amina, Présidente de la Fédération Royale Marocaine des Sports Equestres (FRMSE) a assisté, vendredi après-midi à Lausanne, à l'inauguration du nouveau siège de la Fédération Equestre internationale (FEI).
馬術スポーツのためのロイヤルモロッコ連盟の新本社設立のセレモニーがスイスのローザンヌンで開催され、ラッラ・ミーナ王女が出席した、というような内容。
調べもの用アルファベット綴り
マリカ・ウフキル Malika Oufkir
ラッラ・ミーナ(王女) Lalla Amina
ムーレイ・アブダラ(王子) Moulay Abdallah
ムハンマド五世 Muhammad V
ムハンマド六世 Muhammad VI
ハッサン二世 Hassan II
ラウフ・ウフキル(弟) Raouf Oufkir
アブデラティフ・ウフキル(弟) Abdellatif Oufkir
スカイナ・ウフキル(妹) Soukina Oufkir
ムーナ・イナン・ウフキル(妹) Muna-Inan Oufkir 後にマリア Maria と改名
ミリアム・ウフキル(妹) Myriam Oufkir