ネタ袋

不思議なことや、勉強になりそうな事を書きとめておくブログで、かつては日常の記録としても使われていたことがありますが、これからは不思議な話等をごくごくたまーに更新するかもしれません。

北を向いたとき東にあたるのが右です

 このへんのコメント欄を読みながら思ったこと。

 仕事に慣れてない若いスタッフが素材集の編集を負かされる。しかも先輩たちはこれまでどうしてたかろくに説明してくれない。二言目には「常識で判断して」。どのタイミングでどこに連絡するのが良いかなどのマニュアルは存在しない。不慣れな若手はみなまじめにやってるつもり。でも指示されてないことには気づかない。気づいたとしても指示はされてないから誰かがするんだろうと思いこむ。そして世界は混沌への坂道を下り始める…

 教えられてないことは覚えないよねえ。他人との交渉ごとなんて日常にはそう起こらないものだし、勘の良い人なら自分の力でうまくやれるんだろうけど、誰もがそういうわけにはいかないから仕事のできる人とできない人が存在しちゃうわけだ。もちろん言葉では説明できないコツというのも存在するのでしょうが、最低限伝えなければならない事項の一覧くらいマニュアル化してあってもよさげだよなーって思うんだけど、わりとないんだな、これが。

 こんなこと書いてるワタクシだって文章でのやりとりならばそれほど支障はないけど、口で説明しなさいっていわれるとダメダメなのよ。人は、身近におこることを目で見て耳で聞いて、次第に自分のものにしてゆくのだから、経験のないことがうまくできないのはあたりまえ。でも今は、最初からうまくやることを求められる世の中。挫折する人も多い。多くてあたりまえ。

 だのに人は癒しをもとめて「生まれたときから歩ける人はいないのよ。赤ん坊みたいにハイハイから頑張ってみません?」などというなぐさめに埋没していっちゃう。でもそれ、それホントに癒しになってる? 気分がいいのはその時だけでしょ。なんの解決にもならない。仰向けになって手足をばたばたさせてる状態からハイハイのステップに勧めないから困ってるのにさ。「そんなの本能の赴くままに動けばいいんだよ」って言われても、動けないもんは動けない。だから困ってるんだから、最低限のことを誰にでもできるように、頭のいい人は頭を使ってくれるといいんじゃないかと思うんだけど、それは忙しいからって理由で切り捨てられて行くんだろうな。

 ちなみに記事のタイトルは「右(みぎ)」を国語辞典で引くとでてくる説明です。