稲むらの火
いなむらの火。地震で津波とくると、かならず思い出すのがこの話。調べてから書こうと思っていたら、今朝のウォッチで荒俣宏に先に言われてしまった。
その日おこった地震はそれほど大きくはなかった。村人たちは秋祭りの準備に追われ、小さな地震のひとつやふたつ気にとめるものなどいなかった。村はずれの高台に、五兵衛という男が住んでいた。彼は遠く海をながめ、ものすごい勢いで潮が引いてゆくのに気づいた。
津波が来る。昔から津波の前には潮が引くものだと言い伝えられている。あれは津波の前兆に違いない。村人に知らせなければ。しかし今からおりていっても間に合わない。
五兵衛は家のまわりに積み上げてある稲むらに火を放った。刈り取ったばかりで穂の付いた稲の山に、である。
高台で煙があがるのを見た村人たちは、五兵衛さんの家から火が出たぞと、坂道を駆け上がってくる。
「火事なんかどうでもいい。年寄りも子供も集めるんだ。津波が来るぞ」
のぼってくる村人たちに五兵衛は叫んだ。
津波?
今の地震で?
地震ならこれまでにも何度もあったはずじゃないか。急に津波が来るなどと言いはじめて、一年間丹誠込めて育てた稲を燃やしてしまうとは。
人々は五兵衛が気が違ったのではないかと思った。
けれども津波はやってきた。遠い海の彼方で一直線の白い波が立ったかと思うと、見る間に近づいてきて絶壁のような高波となり、村を飲み込んでしまった。
大変だと言われてわけもわからず集まってきた村人だったが、これを見てやっと、五兵衛に救われたことに気づいたのだ。
子供用の科学の本でこの話を読んで、津波というのは地震のあとに来るもので揺れの大きさとは関係なく起こるときには起こること、津波の前には潮が急に遠くまで引くんだってことを、覚えたわけです。そして津波のニュースがあるたびに、この話のとおりに潮が引いて、それから高波が襲ってくるのを見て、やっぱりそうなんだと思うんです。
上の話はなかば伝説化していますが、1854年(安政元年)の大地震の時に実際にあった話だそうです。五兵衛のモデルはヤマサ醤油の七代目当主である濱口儀兵衛。後に小泉八雲が著書の中でふれたことから欧米諸国にも知られるようになりました。