ネタ袋

不思議なことや、勉強になりそうな事を書きとめておくブログで、かつては日常の記録としても使われていたことがありますが、これからは不思議な話等をごくごくたまーに更新するかもしれません。

墓石の思い出

墓石って誰が流行らせたの?? 庶民のお墓がいまのような墓石になったのはここ100年ほどの話しだと聞きました。 考えてみれば土葬の時代に先祖代々もなにもないわけで、だとすると、なにかものすごい仕掛け人が居るのではないかと思いました。 墓地の分譲や直方体の墓石などというものは誰が形式化し今のようになるまで庶民に押し広めたのでしょうか? キリスト教の影響?特定の宗派?それとも国の政策? そのブームの起源として伺い知れるものとかがあったらお願いします。

↑ここの質問を見ていて、親戚の家で墓を作り直した時のことを思い出した(質問のコメント欄にも少し書いたけど)。

 その家は山形圏内の旧家で今はお百姓さんだけど、もともとは武士だったらしいです。とはいえ田舎の武士なので、普段は米を作ってたかもしれません(小作人にやらせてたでしょうが)。古地図を見ると、その家の馬場が記されていたりします。

 墓を建て直したのは今から二十年以上前の話で、その頃、関東のお寺だと先祖累代の墓が普通だったと思うんですが、その家の菩提寺には個人の墓が多かったです。しかも、どこの家のも墓石がやたら古かったのを覚えてます。

 その家の墓地にも、沢山の古い墓石がありました。お坊さんにお経を読んでもらって、ひとつひとつ墓石をどかしてショベルカーで掘り返しました。土葬だった時代のもあるはずですが、もうみなさん土に帰って骨すらあまり残っていません。かろうじて残っているお骨を拾って骨壺に収めてました。わりと近代のお墓からは椿油などの小瓶が出てきました。遺品として納められたものだと思います。

 問題の墓石ですが、わたしの記憶だとこんな形状の四角柱だったと思います。材質は石に詳しくないのでよくわからないけど、古い墓石にはありがちなやつで、安山岩とか、そういうのじゃないかと思います。御影石みたいにツルツルに磨かれたものではなく、ザラザラしてるやつです。大きさは50cmくらいで今の墓石にくらべたら遙かに小さいですね。台座もあったかどうかわかりません。ひょっとすると地面すれすれに低い台座があったかもしれませんが覚えてません。表に書いてあるのは確か戒名だったと思います。側面か、裏面(ここらへんは記憶が定かじゃない)に元号が書いてありました。月や日はどうだったか思い出せません。多分書いてあったと思います。いくつかあった墓石のうち、古いものの年号は「文化○年」と書かれていたと思います。○○と書いてある、と大人が言ってるのを耳で聞いて、明治や大正みたいに年号にしかない単語じゃなく、日常的に使う単語だったのを記憶してます。これが文久とかの読み間違いじゃなく、本当に「文化」だったら今から200年くらい前でしょうか。墓石はいくつかありましたから、他の元号のものもあったと思うんですが、文化しか覚えてません。

 そういう古い墓石のうち、ちょっと変わったのもありました。形状は四角柱なんですが、裏と表に別の戒名が書いてあるらしいです(わたしは子供だったのでいまいちよく覚えてないんですけど)。裏の名前を軽く削り落として、表に新しい戒名を掘ってあるようなことを言ってたと思います。別の人の墓石を流用してるって大人が騒いでました。

 それと、そんな古い墓石が残っているわりに、死んだ人の数ほどには墓石の数がなさそうなのも子供心に気になるポイントでした。墓石を立てる人と、立てない人がいるんでしょうか。今思い返してもなんとなく不思議です。