ネタ袋

不思議なことや、勉強になりそうな事を書きとめておくブログで、かつては日常の記録としても使われていたことがありますが、これからは不思議な話等をごくごくたまーに更新するかもしれません。

 北扶余(プクプヨ:地名)の解夫婁(ヘブル)王の臣下で、阿蘭弗(アランブル)という人の夢に神様が現れ、自分の息子を地上に送るから東方へ行けと告げる。


 その話を聞いたヘブル王は、迦葉原(カソップウォン:地名)に首都を移した。北扶余には神の子である解慕漱(ヘモス)が天下って首都を置いた。


 ヘブル王の死後、金蛙王(クムワワン)が国を治めたが、ある日、大伯山(テベクサン)の南にある優渤水(ウバルス)という川のほとりで、河伯(ハベク=河の神)の娘である柳花(ユファ)と出会う。


 ユファは、天孫であるヘモスが自分を見初めたので、父母の許しを得ずに結婚したため、家を追い出されたのだと話す。


 クムワ王の王宮で、ユファは太陽の光をあびて大きな卵を産んだ。王はその卵をあやしんで、犬や牛や豚などの家畜に与えるがみなさけて通るばかり。野に捨てれば鳥が飛んできて、自分の羽でつつみ、守ろうとする。仕方なくユファに返すと立派な男の子が生まれた。


 生まれた子供は成長すると弓の名手になり、朱蒙チュモン)と呼ばれた。扶余では弓の名手のことをそう呼ぶからだ。


 クムワ王には七人の息子がいたが、チュモンの才能にくらべれば凡庸な者たちだった。彼らはチュモンを恐れ、父王に進言して亡き者にしようとするが叶わず、王はチュモンを厩番にした。


 チュモンは一番の駿馬に餌を与えずにおき、二番目に餌をやってよく肥やした。王は肥えた馬を自分の騎乗にし、痩せた馬をチュモンに与えた。


 七人の王子はなおもチュモンの命を狙うので、チュモンは痩せ馬に乗って逃げ出した。馬ではわたれない大きな河にさしかかり、絶体絶命の危機に陥るが、自分は天帝の息子で河伯の孫だと告げると、魚とスッポンが現れて橋を造って渡してくれた。

 やっとの思いで沸流水(ブルス:河の名前)の岸辺におちのび、ここに国を作ることにした。国の名前は高句麗とし、自分の姓は高(コ)とした。


チュモン伝説のまとめ
・天帝の孫の、さらに孫。
・母親は河の神の娘。
・腹違いの兄弟にうとまれて殺されかけ、逃げる。
・大河にはばまれた時、スッポンに助けられる。
・落ち延びた先で高句麗国を作る。


 この伝説は『三国史記』という朝鮮の歴史書にあるエピソードで、日本神話とも共通点が多い。


神武天皇の伝説
天照大神の孫(ニニギ)の、さらに孫。
・母親は海神の娘(海幸山幸の伝説)。
・東征に行く途中で大亀に乗った釣り人が水先案内をかって出る。
・日本を建国したと言われている。


 ついでに言うと、兄弟にうとまれて殺されかけるところは大国主の伝説にもそっくり。

 大陸から共通の伝説が伝わり、半島と日本でそれぞれの味付けをされたものと考えられるそうだけど、だったら中国あたりに同様の話がなきゃいけない。