ネタ袋

不思議なことや、勉強になりそうな事を書きとめておくブログで、かつては日常の記録としても使われていたことがありますが、これからは不思議な話等をごくごくたまーに更新するかもしれません。

パンダに関する覚え書き(パンダは本当に古代日本に来ていたか)

◎日本とのパンダ外交、則天武后が最初?天皇への贈り物として―中国
http://www.recordchina.co.jp/group/g27750.html

2009年1月15日、在日華僑向け新聞「日本新華僑報」は「武則天則天武后)が最初にパンダを日本に贈った」という記事を掲載した。中国新聞網が伝えた。

可愛らしいジャイアントパンダは中日友好のシンボルとして、日中国交回復後に中国側から日本へ贈られてきたが、歴史上初めて日本にパンダを贈ったのは、唐(618年〜907年)の女帝である則天武后だったという。「685年に則天武后はつがいのパンダ2頭と毛皮70枚を贈っており、日本書紀にも記されている」と記事は述べている。

685年、唐の都・長安(現在の西安)を出発した2頭のパンダは、きらびやかな飾りのついた車に乗せられ揚州(現在の江蘇省揚州市)に向かい、そこから帰国する遣唐使とともに日本へ渡ったという。そして日本の天武天皇に贈られたというのだが…。同紙はこれを事実ととらえ、中日友好の長い歴史をたたえる内容になっている。

中国のメディアはこれまでに幾度となく同様のニュースを伝えているが、日本書紀に該当する記載は見当たらず、「斉明天皇の時代(658年)に越国安倍比羅夫が生きた熊2頭と毛皮70枚を献上した」というくだりが中国で誤訳されたのではないかとの見方もある。(翻訳・編集/本郷)

# 685年だの658年だのあるのは原文のまま。
# 日本書紀によれば斉明天皇の四年(または六年)とあるので、正しくは658年か660年じゃないのかと……



パンダに関するおもしろ雑学を調べています。 生態に関する雑学ではなく、単純に面白いもの、意外な情報を探しています。 例:パンダはネパール語の「笹を食うもの」という意味の単語に由来している。 URLは必須で。出来るだけ出典がある情報でお願いします。
↑この質問を見て、そういえば古代日本にパンダが来てたという珍説があったなと思いだしたので改めて確認したところ、「日本書紀」には熊ではなく羆とあって、それがどういう生き物なのかの説明はありません。

 羆(あるいは罷)は、中国の古文書で「説文解字」に、罷は熊に似て黄白の模様がある、とあるため、毛の白い熊と解釈できますが、ヒグマの類かもしれないし(ヒグマもツキノワグマに比べたら毛色が薄い)、ホッキョクグマかもしれず、パンダと断定するほどの根拠になりません。

 また、送った人はニュース記事のとおり「越国守阿倍引田臣比羅夫」とあって日本人っぽいのですけど。

 ついでに言えば中国にあった「越」は紀元前の話だし、則天武后が女帝をやっていたのは斉明天皇が退位してから9年もたってからだし……さすが中国、解釈が大らかすぎる!

 と、思ったのですが、どうもこの件に関しては、中国人の大風呂敷ではないらしいんです。


 うちの本棚にある『おお パンダ!!』という古い本(1972年初版、小野光春・著)を引っ張り出してみたのですが、なんと、この本にそっくり同じ説が出てました。

 西暦六八五年のこと、当時の唐王朝から、日本の天皇に、白いクマ二頭と、その毛皮七十枚がおくられたという記録が、外国にあるそうだ。不思議にもその日付までがわかっているという。
 西暦六八五年の十月二十二日というのだ。

(中略)

 ダビッド神父をはじめ、たいていの人がパンダのことを、ベイ・シュンすなわち白クマと思っていた。その伝でゆけば、中国から日本に運ばれたのは、パンダだったのかもしれない。そういう見方をする人もいる。

(中略)

 日本側のチャンとした記録に、この生きたクマ二頭とか、毛皮七十枚についての裏付けがないのが困り物だ。中国の、今日につたえられたる資料にも、この一件はまともに記載されてはいない。

 この白いクマが日本にわたってきたというのは、西暦七世紀のことになるだろうが、この七世紀の中国の文献に、
「黒い部分のある白いクマ」
 についての紹介があるといわれる。なんでもそのものは、雲南の竹林にすむと記されており、そういう記録が、ピエル・ダビッド師などの、好奇心に満ちた欧米人の目にふれたようだ。

(中略)

 ところで、ダビッド師などが注目した、西暦七世紀の中国の古文書というのは、今日の中国人専門家にいわせると、いつの時代の、なんという本か、あまりハッキリしないということらしい。

 あとでのべるが「説文」という書に、羆(ひ)という動物についての記載がある・クマににて、黄白の模様があると記してあるという。出所はそれかもしれないという。この問題は、やがてくわしくふれるが、ここでは羆とは、多分、クマのことで、パンダではないということだけをのべ、この章なりの結論を急ぐ。

 要するに、千数百年の昔、日本にパンダが渡来したという記録は、あまり宛にならない。第一、フロイド・スミスらのような、二十世紀のキャッチャーですら、この四川山地に特有の珍獣の移送に、あれだけ骨をおっている。


 この記事で分かるのは

  • この珍説の元ネタは、欧米の文献にあるらしい。
  • その文献では中国側の話として出てくるらしいが、中国の古文書にそのような記載はないらしい。
  • 受け取った日本側にも、685年にあたる記録はない。
  • 日本書紀の、斉明天皇の四年(658年)に極めて類似した箇所はあるが、贈り主は中国王朝ではなく日本人の阿倍さんらしい。


 犯人は欧米の文献だったようです。同書によれば、西欧の文献にはアヤシゲナものが多く、四千年の昔に雲南の奥地から禹王に献上されたなどと伝える本もあり、しかし中国の古文書にはそのような記録はないとのこと。


 なお、「説文」とは、「説文解字(せつもんかいじ)」のことで、西暦100年くらいに作られた本だそうです。羆(または罷)は、「山海経」にも出てきますが、クマではなく麋(なれじか・となかい?)のような生き物だと説明しています。
http://www.chinjuh.mydns.jp/sengai/cervo/p44.htm
↑白い枠組みの中だけ参考にすること。それ以外のところは、わたくしが十年ほど前に書き下した壮大なる与太ば……いえ、大まじめなガクジュツ的な考察です。はい。


 ついでに、人力検索の回答欄に書いた答え(どうせ今から答えたんじゃあけてもらえないだろうから)。

中国人以外ではじめてパンダを狙撃したのは、アメリカの大統領セオドア・ルーズベルトの息子で、カーミットルーズベルトセオドア・ルーズベルト・ジュニア。このパンダは1929年からシカゴ野外博物館で展示された。


ソースは「おお パンダ!!」1972年初版・翠楊社 発行・小野満春 著
本はとっくに絶版です。