ネタ袋

不思議なことや、勉強になりそうな事を書きとめておくブログで、かつては日常の記録としても使われていたことがありますが、これからは不思議な話等をごくごくたまーに更新するかもしれません。

厄落とし

 さてさて、今日も今日とて冬の怪談です。毎日少しずつ集まってくる怪談を読むのが楽しみになりつつあります(実は怪談好き)。稲川淳二のネームヴァリューを思えばもっとたくさん読み切れないほど集まってきてもよさそうなのに意外とのびないもんですね。この企画、ココログはてなが主催してますが、ほかからの応募もオッケーだそうですよ。恐い体験の持ち主さんは、がんがんいてこましてくださいませ(ってなんでわたくしが宣伝してるんだか)。

 昨日からまた二件のトラックバックがありますね。「恐怖体験(?)」と疑問符付きのお話。長い石段の途中ですれ違った老夫婦がどうもあやしいっていうやつ。あの手の体験をする人は多いんじゃないかしら。でもそれを霊だとは気づかないの。あとで考えるとおかしいので霊だったんだなぁって思う。怪談としての迫力こそないけど、体験した本人にとってはかなり不思議な気持ちになるんですよねえ。なんかわかる。すごくわかるぞ。

 占い師さんの「ザ・厄落とし」ってのも、これは理解できない人にはまったく理解できないような気がするんだけど、個人的には「あるある、そういうこと」って感じでした

 
 一般に厄落としといえば、神社で厄払いをしてもらったりすることが多いですが、宴会をひらいてどんちゃん騒いだり、お金やお餅をばらまいたりすることもあるようです。
 厄年というのは悪いことがおこりやすいと言われている歳のことなので、何かおこる前に手を打っておくのが厄落とし。宴会で散財するのも、お金をばらまくのも、そういうことが予期せずあったら困るので、覚悟の上であらかじめやっちゃおうってことじゃないかと個人的には思ってます。
 その「厄落とし」が意図せず起こるということがたまにあります。
 たとえば私の場合だと、人生の転機にお財布を落とす傾向にあるんです。たとえば引っ越し。さあ新しい生活をはじめるぞーって時に、なぜかうっかりお財布を落とすんですよ。図書館のカードや銀行のキャッシュカードなど、住所を特定できそうなものが入っているにもかかわらず、そういうのは決して出てきません。まるで人の手の届かない次元の狭間に吸い込まれていったかのように、どっかへ行っちゃうんですよねえ。
 そういうのを偶然だといえばそれまでなんですが私は厄落としだと思ってます。悪いことが起こることが予想される時に、あらかじめ小さな悪いことを起こして、終わったことにするんじゃないかと思うんです。
 私はここ5年の間に二度引っ越してます。最初は葛飾区から江戸川区へ。この時は現金がほとんど入っていないお財布を落としました。落としたと気づいた時に「あの時だ!」と落とした瞬間の影像が頭をよぎりました。
 お財布がひゅーっと落ちてゆく影像がありありと見えたんです。そんなにハッキリ見てたんなら、ふつう拾いますよねえ? ところが、その時は落としたと自覚してなかったらしいんです。無くしたと気づいてから、そうかあの時落としたんだとやっと自覚する。
 あわてて落とした場所へ行きましたがみつかりませんでした。近所の交番にも届けたけど出てこなかった。お金は入っていなかったので困りはしませんでしたが、銀行や郵便局のカードが沢山入っていたので連絡に手こずりました。
 それからつい最近、江戸川区から葛飾区へ、また引っ越してきました。日記には書かなかったけれど、実はこの時もお金落としてます。しかも大金。六万円も入ってる銀行の封筒をうっかり落としちゃったんですよねえ。
 この時は、本当にどこで落としたのかまったく覚えてないんです。落とすようなシチュエーションも思い浮かびません。鞄から抜かれたとも思いにくいし、ほんとにどうして消えちゃったのかなあ、六万円。これにはかなりへこみましたが(へこみすぎて日記に書けなかった)、前のこともあるので厄落としなんだと納得はしましたけど。それにしても六万円ですまないような悪いことってなんだったんでしょうねえ?


 うーん、恐くないなあ。どうも恐くない。さすがにこれはトラックバックするのやめとくか。