ネタ袋

不思議なことや、勉強になりそうな事を書きとめておくブログで、かつては日常の記録としても使われていたことがありますが、これからは不思議な話等をごくごくたまーに更新するかもしれません。

門松なのに竹のほうが目立つのはなぜよ?

 昔から気になっていたのは「門松はどうして松なのに竹なの?」ってこと。たしかに松も梅もあしらわれてますが、わしが主役じゃゴルァ!!って感じで竹がずばんと立ってるじゃなないですか。でも、門竹じゃなくて門松なんですよね。
 それは昨日書いたように、もともと正月に飾ったのは松で、竹を添えるのはずっとあとにできた習慣だからです。理屈としてはわかります。
 でもやっぱり竹が目立つんですよねー。梅も添えられてるけど竹が目立つ。松竹梅という縁起のよいものを組み合わせただけなら、竹をもっと目立たないようにあしらうこともできると思うんです。なのに竹主役で呼び名は「門松」でしょ。昔からそれが気になって気になって仕方がありません。


 これは本当にただの妄想ですが、わたくし思いますに、日本人の心の深い深いところに、竹に対する特別な感情があるのではないかと。日本人の起源というのは諸説あるのでしょうが、そのうちのひとつに南から島づたいに北上してきたんじゃないかというのがありますよね。門松に竹をたてちゃうのことに関しては、南方魂のなせるわざではないかと思うのです。
 世界中に巨木に対する信仰がありますが、環太平洋の島々では椰子の木を大事にしてるところがけっこうあるようです。このへんにも書きましたが椰子の木には枝がなく、竹もまた(枝はありますけど)ツルンとした茎がまっすぐ天をつく植物です。そして中国の扶桑は枝のない桑の大樹です。南方では椰子の実が生活に生きてますし、椰子を大事なものとするのは当然ですよね。南から北上してきた人たちは、日本でも椰子のかわりになるものを探したと思いますが、本州に椰子はありません。そこで雰囲気の似ている植物として竹をみつけたんじゃないかと思うんです。←この説自体がかなりの妄想を含みます。
 正月に松を飾る習慣は中国の影響で始まったものかもしれませんが、その主役がいつしか竹にとって変わったのは、椰子をとうとび、竹にその姿を投影した古代人の魂がそうさせるからじゃないかな、なんてことをはげしく妄想しちゃうわけですよ。
 ↑これをもう少しもっともらしく説明するには、環太平洋の島々で、神様の依り代としてどんなものを使っているか調べる必要があると思います。たとえば椰子の木を象徴するような枝のない杙のようなものを立てる習慣が、日本にかかわりのありそうなところに点在してたら面白いんですけど、どうなんでしょうね(と適当に放り出すわたくし)。門松以前の日本人と竹の関係なんかも知りたいですよね。


# 門松というキーワードがないらしいです。この時期みんなが門松について語りそうな気がするんだけど…作ったら恨まれるかな。キーワード自動リンクの嫌いな人もいるだろうし。自動リンクそのものは、それで見に来てくれる人もいるので面白いけど、リンクだらけになって見づらいのですよね。スタイルシートをいじくると、自分で挿入したリンクと自動リンクの色をわけられるから、自動リンクのほうだけ目立たなくしちゃうことは可能です。でもふつうそこまでしませんわな。っていいながら、作っとこ。キーワード(おいおい)。